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カカシは知らない。イルカが殺されても構わない釣り餌だという事を。
荒波ナガレも知らない。もしもとイルカが聞いた話は封印され、二分の一の未来を悲観する事はない。

カカシは知っている。イルカが二度と木ノ葉の里には戻らない事を。
うみのイルカも知っていた。草が戻れない事を。
荒波ナガレはこの先も生きていれば町に根付く筈だ、但し新しい草の家族に見張られながら。
何も思い出さずにいられたら、一生平和に。

「うみのイルカは繋ぎだろうと記憶がなかろうと…覚えておけ、草だ。」
一ヶ月分の日記を届けた後、カカシは更に釘を刺された。余分な会話をするな、そして口外無用だと。
カカシは、逆らえない忍びの自分を呪った。

草の任務にあたる者については火影も詳細を知らない。代々暗部が統轄する決まりで、火影は報告だけを受けていた。
五代目火影はイルカの長期の不在に疑問を持ったが、教師としての派遣だと説明されれば納得した。派遣の偽装は完璧に行われていた。
放浪の長かった貴女は就任数ヶ月では何も判らない、まずは木ノ葉崩しの後の里を立て直す事に専念してくれ、とも言われてしまった。
「その内イルカは戻るとアカデミーの仲間達も言うけどなあ。」
手付かずの倉庫の掃除を任せたいのに、と綱手とお付きのシズネは崩れた巻物の山を見て溜め息を付いていた。

イルカの周囲に不審な動きはない。
新しい草の選定も、大分対象家族が絞られてきた。
三ヶ月が過ぎて、イルカはこの町に骨を埋める覚悟を決めた。
「俺、引っ越そうかと思うんです。」
雑談の折りに、隣の席の町田に打ち明けた。
「荒波先生、寂しくなるから駄目です、いてください。」
飛んできた森村が、イルカの腕を掴んで懇願した。折角の酒の相手がいなくなったらと、本気で泣きそうだ。
「あら、何かありましたの?」
お母さんと呼びたいような、頼り甲斐のある風格の水野鮎子が間に割り込んで引き離してくれた。
「この町が気に入ったので、もし皆さんが良ければずっといたいなって思って。」
後頭部を掻きながら、イルカは集まる教師達を見回した。
「何だよ、早速いい娘を見付けたか。」
五つ上だと言う塩田甘壱が、小指を突き出し意味ありげに笑う。辛いのに甘い名前だと荒波ナガレに共感し、初日から馴れ馴れしいがはっきりしていて好感が持てる美丈夫だ。
ナンパなぞとんでもないと否定し、でもいつかは此処で結婚したいとイルカは照れた。
落ち着くならもう少し広い部屋へ。
ならば近所に幾つかあるからと水野が言う。
「うちも旦那が単身赴任で娘達と女所帯でしょ、荒波先生がいてくれたら安心よ。」
何ならどっちかあげようか、まだ三つの双子だけどね。
笑いに包まれて平和を実感しているが、イルカはずっと腰が落ち着かない日々だった。
あの忍びは日を開けながら日記を取りに来るが、またひと言ふた言の会話だけですぐ去るようになってしまった。
話を聞いてやりたい。漂う心を港に戻してやりたい。
方法は見付からないけれど。
「最近変な人がいるみたいですよね。」
「買い物する訳じゃなく、ただうろついてますね。」
思考をカカシに向けていたイルカの頭上で、ひそひそと交わされる会話に慌てて加わる。
もしやカカシかとどきりとしたが、見掛けられた男は風貌が違うと安心した。
「では男性陣は見回りと、生徒達にも注意するように言いましょう。」
雑談がそのまま職員会議になった、小さな町のこんな所が好きだ。とイルカは心から思った。

浮いた雰囲気の男は毎日現れる事はないが、見掛けた日には職人通りをゆっくり徘徊し、時には立ち止まり小さな手帳に何かを書き付ける。その様子は誰がどう見ても怪しかった。
男と食堂の従業員が交わした話はこの近辺には土地の者ばかりか、余所者は定着するのか、と探るような世間話を従業員が覚えていた。
「悪い感じはしなかったけど、しつこかったんですよね。」
「態度は丁寧だし、やくざには見えないですけど。」
「校長、子ども達に危険はないでしょうか。」
先の強盗の件はまだ記憶に新しく、また事件になるのではないかと大袈裟に構えてしまう。それほど平和だった町には衝撃だったのだ。
イルカは町を守りたいと先頭に立ち、商店街の腕に自信がある者を集めて待機させた。お話が、と教師達がうろつく理由の説明を求めると、低姿勢で詫びを入れた男は新興住宅地の開発会社の社員と判明し、一応不審者騒ぎは解決したのだが。
会社自体が偽装だとまでは、素人には辿り着けなかった。
イルカが新参者だと知ると参考にと、赴任の理由や生活を根掘り葉掘り聞かれた。疑いもなく協力的なイルカの態度に、社員は個人的に酒を誘うようになっていった。
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