七
お疲れ様、ありがとうねと一人ずつに礼を言い、イルカは頂き物の食材を適当に持たせた。サクラなどは真っ赤な大粒の苺を、お母さんにあげるのと大喜びだった。
三人を見送った玄関で、漸く寝泊まりできる程度に片付いた事にほっとして二人は同時に大きな息を吐いた。
これからはイルカとカカシの二人で此処に住むのだと、漸く実感が湧く。
居間で座り込むとじわりと滲んだ熱いものに、イルカは思わず目を擦った。掃除と来訪者と諸々の雑事が片付き、張り詰めていた気持ちは思い切り弛んだようだ。
慌てて正面から移動し並んで座ったカカシが、今度はイルカに膝枕をしてやった。目を閉じて染み出す疲れに身を委ねると、イルカはふわふわと夢うつつにカカシの独り言を聞いていた。
「ねえイルカ、俺さぁ死にそうな位に幸せだよ。そうそう帰りがけにね、サクラが二人共昨日からいきなり呼び方変えて何をのろけてんのって、俺を小突く訳さ。わざとやったんだけどそれ、あなたは気付いてたかな。」
睡魔に抱き込まれる前にカカシに抱き込まれ、イルカは目を開けた。
覆い被さるカカシの顔が近い。眠いけれど眠り込むまでには至らない、残った興奮は通常と違う事をしたせいだ。
カカシの首にしがみついて起き上がったイルカは、そのまま鼻先に口付けると上目使いで目を細めて笑った。
思わずお前なー、と言ってしまってからカカシは照れたような困ったような顔で横を向いた。お前、だなんて。
「いいですよ、階級も年も下なんだから、寧ろ砕けてくれて嬉しいし。人前でもそうしてくれたらなぁって思います。」
「いいんだ、何処でも『先生』って付けなくてもいいんだ。」
「三人の前で『先生』抜きだったのは自分でも気が付かなかったんですがね。」
「あはは、やっぱり。」
まだ約束のない時―といっても二日前までだが二人が話す公の場には必ずアカデミー関係者や七班の子らがいて、イルカは勿論の事カカシも何だか爛れた関係じゃないかと後ろ指を指されそうで、『先生』の呼称は外せなくなった。だが酒と食事の席では、早くも二度目から名前を呼び捨てとなっていたから今更なのだが。
明日からが恥ずかしくてイルカは話題を変えた。
「父が貼りきれなかった写真を全部見付けてくださいね。」
「一年分か、お父さんはお茶目だからねえ、何処にあるんだか。」
カカシの溜め息は、イルカの九才の春から両親が亡くなるまでの一年と少しの分の写真がアルバムにない事から来ている。
当時十三のカカシの記憶では、その一年は里外での不穏な空気に木ノ葉の里の忍びの大半が駆り出されていたから、写真を撮れなくても不思議はない。だがイルカは九才の春を桜の下で迎えたと言う。花が散って十才になるのだから、写真はあるはずだと。
落ち着いてからと思っていたら生活する内に果たして数枚は茶箪笥の箸の引き出しから、他にも玄関の下駄箱とか脱衣所のタオルの間とか、わざと隠したのかと本人に問い詰めたい場所から出てきた。
イルカ曰く、何処かに持って行く途中で用を思い出して其処に一時的に置いたのだろう。毎日あれはこれはと母が後を付いて回っているような、幾つも同時に抱える人だったから。
イルカは午前で授業を終えた半休の早帰りで、明け方任務明けのカカシを起こして遅い昼にした時の話題が、多分ほぼ揃っただろう写真の事だった。
「あなたはどっちにも似てるんじゃないかな。しっかりしている慌て者。」
さらりとカカシのひと言が嬉しくて泣いた。両親は目の前からいなくなったけれど、ちゃんと自分の中にいるじゃないか。
「あ、桜だ。」
縁側からひとひら、濃い目の色の桜の花びらが畳に落ちた。
サクラが咲かないのかと言った日からかれこれ一週間。今日か今日かと待ち焦がれていた、庭の桜は里では一番遅いだろう。
遅くなってごめんね、と満開の八重の花は重そうに枝を垂れている。
今朝は何となく蕾も弛んで、明日あたりかとイルカは心を弾ませて出勤したのだ。
それほど暖かい訳でもなく、桜が半日で満開になったなど聞いた事もない。
カカシが何か術を掛けたのかと聞けば、思い切り首を横に振られた。存在を忘れていた位だと。
「何があったんでしょうねえ。」
イルカは魅入られたように裸足で地面に降りた。
夕闇が花びらを白く浮き上がらせ、あたりは逢魔が時と呼ぶに相応しい禍々しさに包まれて、理由のない恐怖にカカシは鳥肌を立てた。
桜の幹に腕を回して樹肌に頬を寄せたイルカは、カカシが見た事のない妖艶さで笑っていた。それは桜の精が乗り移ったのではないかと思われ、実際その時イルカは記憶があやふやだったそうだ。
イルカに恋をして、人生の春よ来い、と願っていた。
春が来て、今宵俺はまたイルカに恋をした。
春夜 恋。
お疲れ様、ありがとうねと一人ずつに礼を言い、イルカは頂き物の食材を適当に持たせた。サクラなどは真っ赤な大粒の苺を、お母さんにあげるのと大喜びだった。
三人を見送った玄関で、漸く寝泊まりできる程度に片付いた事にほっとして二人は同時に大きな息を吐いた。
これからはイルカとカカシの二人で此処に住むのだと、漸く実感が湧く。
居間で座り込むとじわりと滲んだ熱いものに、イルカは思わず目を擦った。掃除と来訪者と諸々の雑事が片付き、張り詰めていた気持ちは思い切り弛んだようだ。
慌てて正面から移動し並んで座ったカカシが、今度はイルカに膝枕をしてやった。目を閉じて染み出す疲れに身を委ねると、イルカはふわふわと夢うつつにカカシの独り言を聞いていた。
「ねえイルカ、俺さぁ死にそうな位に幸せだよ。そうそう帰りがけにね、サクラが二人共昨日からいきなり呼び方変えて何をのろけてんのって、俺を小突く訳さ。わざとやったんだけどそれ、あなたは気付いてたかな。」
睡魔に抱き込まれる前にカカシに抱き込まれ、イルカは目を開けた。
覆い被さるカカシの顔が近い。眠いけれど眠り込むまでには至らない、残った興奮は通常と違う事をしたせいだ。
カカシの首にしがみついて起き上がったイルカは、そのまま鼻先に口付けると上目使いで目を細めて笑った。
思わずお前なー、と言ってしまってからカカシは照れたような困ったような顔で横を向いた。お前、だなんて。
「いいですよ、階級も年も下なんだから、寧ろ砕けてくれて嬉しいし。人前でもそうしてくれたらなぁって思います。」
「いいんだ、何処でも『先生』って付けなくてもいいんだ。」
「三人の前で『先生』抜きだったのは自分でも気が付かなかったんですがね。」
「あはは、やっぱり。」
まだ約束のない時―といっても二日前までだが二人が話す公の場には必ずアカデミー関係者や七班の子らがいて、イルカは勿論の事カカシも何だか爛れた関係じゃないかと後ろ指を指されそうで、『先生』の呼称は外せなくなった。だが酒と食事の席では、早くも二度目から名前を呼び捨てとなっていたから今更なのだが。
明日からが恥ずかしくてイルカは話題を変えた。
「父が貼りきれなかった写真を全部見付けてくださいね。」
「一年分か、お父さんはお茶目だからねえ、何処にあるんだか。」
カカシの溜め息は、イルカの九才の春から両親が亡くなるまでの一年と少しの分の写真がアルバムにない事から来ている。
当時十三のカカシの記憶では、その一年は里外での不穏な空気に木ノ葉の里の忍びの大半が駆り出されていたから、写真を撮れなくても不思議はない。だがイルカは九才の春を桜の下で迎えたと言う。花が散って十才になるのだから、写真はあるはずだと。
落ち着いてからと思っていたら生活する内に果たして数枚は茶箪笥の箸の引き出しから、他にも玄関の下駄箱とか脱衣所のタオルの間とか、わざと隠したのかと本人に問い詰めたい場所から出てきた。
イルカ曰く、何処かに持って行く途中で用を思い出して其処に一時的に置いたのだろう。毎日あれはこれはと母が後を付いて回っているような、幾つも同時に抱える人だったから。
イルカは午前で授業を終えた半休の早帰りで、明け方任務明けのカカシを起こして遅い昼にした時の話題が、多分ほぼ揃っただろう写真の事だった。
「あなたはどっちにも似てるんじゃないかな。しっかりしている慌て者。」
さらりとカカシのひと言が嬉しくて泣いた。両親は目の前からいなくなったけれど、ちゃんと自分の中にいるじゃないか。
「あ、桜だ。」
縁側からひとひら、濃い目の色の桜の花びらが畳に落ちた。
サクラが咲かないのかと言った日からかれこれ一週間。今日か今日かと待ち焦がれていた、庭の桜は里では一番遅いだろう。
遅くなってごめんね、と満開の八重の花は重そうに枝を垂れている。
今朝は何となく蕾も弛んで、明日あたりかとイルカは心を弾ませて出勤したのだ。
それほど暖かい訳でもなく、桜が半日で満開になったなど聞いた事もない。
カカシが何か術を掛けたのかと聞けば、思い切り首を横に振られた。存在を忘れていた位だと。
「何があったんでしょうねえ。」
イルカは魅入られたように裸足で地面に降りた。
夕闇が花びらを白く浮き上がらせ、あたりは逢魔が時と呼ぶに相応しい禍々しさに包まれて、理由のない恐怖にカカシは鳥肌を立てた。
桜の幹に腕を回して樹肌に頬を寄せたイルカは、カカシが見た事のない妖艶さで笑っていた。それは桜の精が乗り移ったのではないかと思われ、実際その時イルカは記憶があやふやだったそうだ。
イルカに恋をして、人生の春よ来い、と願っていた。
春が来て、今宵俺はまたイルカに恋をした。
春夜 恋。
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