一
前略、で始まる手紙は古く黄ばんでいた。水分は失われ、カサカサと音をたてながらイルカの手によって開かれる。
前略
これをイルカが読んでいるのはいつでしょう。
私は毎年一度、イルカへの手紙を書き直しています。今年も書けることに安心し、来年も書けるかと不安になります。
そう、遺書です。
忍びならば少なからず書いていると思いますから、あなたが心配するようなものではないのですよ。
今年イルカは九才になりましたね。おめでとう。だけどまだまだ忍びの本質に触れる事もなく、学校では術の訓練に明け暮れていますね。
私はあなたが日々楽しいばかりでなく、時々泣いていることを知っています。
今は土遁がなかなか上達しませんね。性質上は扱える筈なのに、それは先生からも聞いていますが、私は敢えてあなたから言い出すのを待っています。
でも負けず嫌いの血はお父さん譲りですね、そっくりで笑ってしまいます。
お父さんは今新しい術を考えているのですよ。任務中に失敗した事を悔しいと言っていました。
それで誰かが死んだ訳ではないけれど、皆の負担を減らすためだとか。
夫婦間でも守秘義務はあるから私は聞きませんが、そんなお父さんはとても尊敬できる人です。
イルカ、顔の傷ごめんね。苛められて泣いたね、ごめんね。
大人になったら、傷が薄くなる手術ができると綱手様から聞いたから、もう少し我慢してね。
でも私は、傷も含めてあなたの全てを受け入れてくれる人がいることを信じています。
あなたの幸せだけを願って。
戌の年 五月二十六日 母より
母らしい、とイルカは呟いた。
時折筆を置いて何か用を足したのか文が纏まらない。きっと中座して戻って、今まで煩わされていたその事について書き始めたのだろう。自分にも同じ癖がある。
十四年近くの間殆ど足を踏み入れなかった家は荒れ果てていた。だが土台はしっかりしていて、築四十年以上とは思えない程歪みもない。両親が中古で買ったと聞いていたが、見る目は正しかったようだ。
イルカは手紙を座卓に置き、畳の上をそっとスリッパで歩きながら辺りを見回す。掃除をしようと居間から手をつけたが、母の手紙を見付けた事で続ける気持ちが削がれてしまっている。
紙が劣化し破れた障子と襖。積もった埃は層を作るほど厚く、歩いた後に足跡を残す。一人では休みの度に掃除に来てもどれだけ掛かるか解らない。
任務として依頼を出そうかとイルカは思い始めた。
ぐるりと前後左右見渡せる位置に立つ。
東には四畳半の台所と洗面所と風呂がある。
続く障子と襖で仕切られた六畳二間。北側のトイレに向かう廊下を跨いで八畳の客間。
玄関から見ると六畳二間の南に広縁、右手台所の南に壁で仕切られた個室四畳半のイルカの部屋。
平屋の、東西に細長い作りだ。台所の隣の六畳は居間で、その続きを両親が使っていた。
今から思えば子どもが閉鎖された空間を、四畳半といえど一人占めなど申し訳なかった。けれど両親は自分達は家にいる時間が少ないから、と許してくれたのだ。
ああでも、三面が障子と襖でも結界が張れたなら個室と同じだ。大人の忍びに何を心配したかと顔が染まる。
窓を全て開け放し、四方から風を通す。まだ春の初めだから日陰の風は肌寒い。イルカは両腕を抱えるようにして擦った。
「いくら掃除をするからって、そんな薄着じゃ風邪ひくんじゃないの。」
後ろから逞しい体で包まれて、イルカは初めてカカシの存在を思い出した。
「ごめんなさい、カカシさんを忘れてました。」
その腕を撫でながら、イルカは肩に乗せられたカカシの素顔に軽く口付けた。
「思い出がありすぎて。」
「うん。」
カカシの生家は既にない。暗部に入隊する時に未来の見えない自分には過去すらいらないと、取り壊し土地も売ってしまったのだ。
何より父が自害した家など、残すには辛すぎた。しかし今はあっても良かったと優しく思う事ができる。イルカのお陰だ。
過去がなければ今のカカシは作られなかった、だからいい事悪い事全てを受け止めて未来を見よう、と諭した酔っ払いの涙に惚れたのだ。
「貴方がいてくれたから決心が着いたんですよ。」
あの時酔った勢いでカカシに言った言葉は自分にも向けていたのだ。未来へ向かうなら、両親の幻影を追い払うのではなく心に住まわそうと、竦む脚を追い立てて実家に来た。
「母に会えましたし。」
「うん。じゃあお父さんも探そうか。」
「何処にいるか解らない、いたずら好きの人ですよ。」
父親はカメラが趣味だったから、と言えば幼いイルカを見たいとカカシは浮き浮きしている。
ならばやはりカカシの率いる七班に掃除任務を本当に依頼しようと決めて、イルカは写真を探すカカシを後ろから抱き締めた。
前略、で始まる手紙は古く黄ばんでいた。水分は失われ、カサカサと音をたてながらイルカの手によって開かれる。
前略
これをイルカが読んでいるのはいつでしょう。
私は毎年一度、イルカへの手紙を書き直しています。今年も書けることに安心し、来年も書けるかと不安になります。
そう、遺書です。
忍びならば少なからず書いていると思いますから、あなたが心配するようなものではないのですよ。
今年イルカは九才になりましたね。おめでとう。だけどまだまだ忍びの本質に触れる事もなく、学校では術の訓練に明け暮れていますね。
私はあなたが日々楽しいばかりでなく、時々泣いていることを知っています。
今は土遁がなかなか上達しませんね。性質上は扱える筈なのに、それは先生からも聞いていますが、私は敢えてあなたから言い出すのを待っています。
でも負けず嫌いの血はお父さん譲りですね、そっくりで笑ってしまいます。
お父さんは今新しい術を考えているのですよ。任務中に失敗した事を悔しいと言っていました。
それで誰かが死んだ訳ではないけれど、皆の負担を減らすためだとか。
夫婦間でも守秘義務はあるから私は聞きませんが、そんなお父さんはとても尊敬できる人です。
イルカ、顔の傷ごめんね。苛められて泣いたね、ごめんね。
大人になったら、傷が薄くなる手術ができると綱手様から聞いたから、もう少し我慢してね。
でも私は、傷も含めてあなたの全てを受け入れてくれる人がいることを信じています。
あなたの幸せだけを願って。
戌の年 五月二十六日 母より
母らしい、とイルカは呟いた。
時折筆を置いて何か用を足したのか文が纏まらない。きっと中座して戻って、今まで煩わされていたその事について書き始めたのだろう。自分にも同じ癖がある。
十四年近くの間殆ど足を踏み入れなかった家は荒れ果てていた。だが土台はしっかりしていて、築四十年以上とは思えない程歪みもない。両親が中古で買ったと聞いていたが、見る目は正しかったようだ。
イルカは手紙を座卓に置き、畳の上をそっとスリッパで歩きながら辺りを見回す。掃除をしようと居間から手をつけたが、母の手紙を見付けた事で続ける気持ちが削がれてしまっている。
紙が劣化し破れた障子と襖。積もった埃は層を作るほど厚く、歩いた後に足跡を残す。一人では休みの度に掃除に来てもどれだけ掛かるか解らない。
任務として依頼を出そうかとイルカは思い始めた。
ぐるりと前後左右見渡せる位置に立つ。
東には四畳半の台所と洗面所と風呂がある。
続く障子と襖で仕切られた六畳二間。北側のトイレに向かう廊下を跨いで八畳の客間。
玄関から見ると六畳二間の南に広縁、右手台所の南に壁で仕切られた個室四畳半のイルカの部屋。
平屋の、東西に細長い作りだ。台所の隣の六畳は居間で、その続きを両親が使っていた。
今から思えば子どもが閉鎖された空間を、四畳半といえど一人占めなど申し訳なかった。けれど両親は自分達は家にいる時間が少ないから、と許してくれたのだ。
ああでも、三面が障子と襖でも結界が張れたなら個室と同じだ。大人の忍びに何を心配したかと顔が染まる。
窓を全て開け放し、四方から風を通す。まだ春の初めだから日陰の風は肌寒い。イルカは両腕を抱えるようにして擦った。
「いくら掃除をするからって、そんな薄着じゃ風邪ひくんじゃないの。」
後ろから逞しい体で包まれて、イルカは初めてカカシの存在を思い出した。
「ごめんなさい、カカシさんを忘れてました。」
その腕を撫でながら、イルカは肩に乗せられたカカシの素顔に軽く口付けた。
「思い出がありすぎて。」
「うん。」
カカシの生家は既にない。暗部に入隊する時に未来の見えない自分には過去すらいらないと、取り壊し土地も売ってしまったのだ。
何より父が自害した家など、残すには辛すぎた。しかし今はあっても良かったと優しく思う事ができる。イルカのお陰だ。
過去がなければ今のカカシは作られなかった、だからいい事悪い事全てを受け止めて未来を見よう、と諭した酔っ払いの涙に惚れたのだ。
「貴方がいてくれたから決心が着いたんですよ。」
あの時酔った勢いでカカシに言った言葉は自分にも向けていたのだ。未来へ向かうなら、両親の幻影を追い払うのではなく心に住まわそうと、竦む脚を追い立てて実家に来た。
「母に会えましたし。」
「うん。じゃあお父さんも探そうか。」
「何処にいるか解らない、いたずら好きの人ですよ。」
父親はカメラが趣味だったから、と言えば幼いイルカを見たいとカカシは浮き浮きしている。
ならばやはりカカシの率いる七班に掃除任務を本当に依頼しようと決めて、イルカは写真を探すカカシを後ろから抱き締めた。
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