七月七日の朝。
梅雨時にはなかなか無理な話だよなぁ、と少しばかり重い口調で中堅の教師が職員室の窓から顔を出して空を見上げた。
「雨、今日も一日やみそうでやまないですね。」
顔を後ろに回した彼は、七夕の笹飾りを外に飾るのはやめた方がいいだろうとばかりに皆を見回した。霧雨ではあるが長く降り続けば紙の短冊は濡れそぼって染み通った雨の重みで枝はしなり、紙もちぎれて落ちてしまうかもしれない。何より子供達の書いた文字が雨に滲んで読めなくなり、それでは天へ届けと願いを書いた意味がないのだ。
「そうだな、今日は七夕当日だけど昨日までと同じで昇降口の中の壁際に立てておくしかないか。」
「あーそうそう、竹の先が天井に触ってたわんでるけどさ、左右の壁からこう三本ずつ垂れ桜みたいに垂れてるからトンネルみたいだって女の子には好評だぞ。」
一人がその様子を表すように手振りをつけて言えば女性教師達も短冊がカラフルだから本当に綺麗なんですよね、と顔を見合わせて微笑んだ。
意図して竹を配置した訳ではなかった。七月に入ってからほぼ毎日雨はしとしとと降り続けていたから、短冊を下げた笹竹を外に立てておくわけにはいかない。ならば何処に立てようか、と論議して一番邪魔にならないのが生徒の昇降口だったわけだ。教室の棟の正面に長方形に飛び出したそこは、高さも幅も充分と思われた。
しかし全校分六本の竹はいつでも誰でも短冊を掛けられるようにと大きく長い竹を選んだだけあって、高めに取ってある天井に届き枝の先は項垂れてしまった。だが結果そんな風に好評なら来年も雨続きでも同じようにできるという、誤算による嬉しい結論が出た。
「本当に綺麗ですよね。これなら織姫と彦星は雨に負けず、竹のトンネルを潜って会えたという事にできますよ。」
「あ、校長、おはようございます。」
いきなり話に入ってくる校長に驚きもせず、皆親しげに挨拶してはイルカを笑顔で迎える。
試験の結果も人望も申し分なかったイルカは、ナルトが七代目火影に就任するとともに校長に就任した。暴走しがちな彼を止める役目をと周囲に請われたからだ。断り続け前火影のカカシの方がお目付け役には良いだろうと粘ったが、ナルトにとっての鶴の一声はイルカでしかなかったのだ。仕方なく引き受けたが定年まで勤め上げるつもりがない事は、現在周囲には内緒だ。
理由はただ私的に、先代火影のカカシに関係する事だから。
「もう生徒達全員、短冊は吊るしましたかね。」
先生方も、とイルカの問いに各々元気にはいと答える。では後で見てみましょうとイルカは少し弾んだ声で職員室を出て、校長室へと向かった。歩きながら自分の頃から変わらない職員室の中の様子を思い出す。
「備品……請求できるかな。」
イルカが平の教師時代から使用していたスチールの机や椅子を、無駄に器用な忍びの面々が修理をして二十年経った今も使用している。そろそろ買い替えてやりたい。
後で七代目火影となったナルトに相談しよう……と思ったが、おれアカデミーの事はわかんねえから校長権限でイルカ先生が好きにしていいってばよ──と言われるだろう。
実際イルカの思い浮かべた文言の一字一句違えず、ナルトは昔のいたずら小僧の顔で答えていた。

授業を終え、生徒達は帰宅した。帰る際に昇降口で笹の短冊トンネルを潜る子供らは、今夜は星1つも見えないと知っていて天の川と織姫彦星ごっこをして満足したようだった。
夏至からさほど日を経ていない為に、七時を過ぎてもまだ景色は薄ぼんやりと輪郭を残している。イルカは笹のトンネルを内側から覗いて、今カカシが帰ってくればいいのにと小さく息を吐いた。
カカシは火影を退いても、まだまだ経験不足のナルトを陰で支えてやっている。始終各国各隠れ里を回って顔つなぎをしている為に、来世までを誓ったというのにイルカは月の半分を寂しい独り暮らしだ。
ナルトが火影を引退するのは十年後か二十年後か。きっとカカシはそれまで陰でナルトを支えるだろう。外交手腕にかけては歴代火影の中でも飛び抜けているとの評判の切れ者なのだ。
そのカカシがぽつりと溢した事があった。
──イルカ先生の知恵があれば、オレももう少し上手く立ち回れるんだけどねえ。完全に忍びを引退するまで、二人で外交と旅行を兼ねて各国を回りたいってのがオレの夢。でも子供らの未来を導くのが先生の仕事だもんね、頑張ってね。
その言葉がずうっとイルカの胸に繭のように留まり、それは次第に大きくなっていった。
そうしてイルカは確定ではないにしろ、定年を待たずにカカシに付いていこうと思い始めているのだ。いやカカシに断られても付いていきたい。
「あれ、先生待っててくれたの? 貴方のカカシ、ただいま砂から帰りました。」
ナルトへの報告後、なんとなくアカデミーを見て帰りたかったという。イルカの姿を見止めていそいそと昇降口を潜ったカカシが、かきむしるようにマスクを下ろして子供のように笑った。イルカが笑顔にみとれている間にぽんと大きく一歩踏み出し、ぎゅうと抱き締められる。
いつ帰るか解らないのにずっと待っていた訳じゃない、なんて言わない。長年連れ添った勘だろうか、ただ此処にいるべきだとイルカは思っただけだ。
「外は雨だけど、この短冊のトンネルは特別に織姫と彦星の為に用意されたみたいだね。こっそり呼んでやりたいね。」
ぐるりと見渡し随分感動した様子のカカシの感想に、イルカはくすりと笑った。
「彦星様、織姫の為に天の川の急流を渡って来て下さってありがとうございます。」
「それはもう、貴方のために死に物狂いでしたよ。でももう明日の朝には帰らなきゃならないなんて。」
明日からカカシはまた外交に走り回る、という意味も含めている。阿吽の呼吸で小芝居に乗ってくれるところも付き合いの長さからだ。
「彦星様、織姫はもう彦星様と離れるのが嫌です。年に一度じゃない、一年中一緒にいたいと思うのは私の我が儘でしょうか。」
カカシから一歩退きながら、イルカはカカシに向かって手を伸ばした。この手を取ってくれと言わんばかりに、カカシの目を見詰めて。
暫くしてからカカシはその意味に気付いた。
「いいの? 貴方の大事な可愛いナルトと離れるんだよ。」
「あいつの一番は、今は一緒に暮らす家族ですよ。だからそういう意味では、俺の一番は一緒に暮らす家族のカカシさんなんです。」
カカシは自分に向けて伸ばされた手をしっかり握ると腕を引き、イルカを自分の腕の中に閉じ込めた。首筋に顔を埋めてすんと体臭を嗅ぐ。
久し振り、と動いた口だけで解る。久し振りですねえ、とイルカも繰り返してカカシの背をゆっくり撫でた。
それから暫くして二人は手を繋いでトンネルを潜り、霧雨の中を寄り添って帰っていった。

ナルトが七代目火影として里の中で揺るぎない信頼を得た後、カカシとイルカは年に数回里に戻るだけの旅に出た。
どうせ貴方の代わりに長年罪を償いながら陰で貢献し許されたサスケが帰ってきた事だし、とカカシはほんのひと月足らずで里に帰りたくなったイルカに釘を刺す。
それならとイルカも腹を括って、残る日々をカカシの為にカカシだけを見て生きる事を決めたのだった。
スポンサードリンク


この広告は一定期間更新がない場合に表示されます。
コンテンツの更新が行われると非表示に戻ります。
また、プレミアムユーザーになると常に非表示になります。