噂 の続き


お帰りなさい。酷い汚れ方ですね、大変だったでしょう。

お疲れ様です。お体ご自愛ください。

各自の顔と報告書の行き先に瞬時に目をやり言葉を選ぶあたりは、慣れとはいえ誰にも真似はできはしない。そうしてイルカは重用される。
受付の隅に置かれたソファのスプリングが尻には具合が悪く、それでもカカシはイルカを眺める為に座る。
此処で待っていてはいけませんか、とイルカの上がりまでの間を問えば。邪魔にならなければ、と許されて。

受付に座る者達に酒か飯を誘う帰還者は多く、カカシが見ている限り―ここひと月の数日の数時間だけだが、イルカだけは一対一では頷かない。年齢性別は関係なく。
たまに強引に誘う者には返答に困った顔をし、ちらとカカシを見ては俯く。
誘った人間がイルカの視線の先に驚きそそくさと立ち去るか、または気配だけで察して何気なくまた今度とどちらかになるのをカカシは内心ほっとし、緩やかに微笑む。
イルカの立場上なかなか誘いを断れないと承知していたが、だからといって頷かないで欲しい。
そんな思いを知ってか知らずか、イルカが頼るようにカカシを見る瞬間があるのだ。
それで虫除けになるなら笑って殺気を振り撒いてもいいと思い、だがイルカに直接請われるまでは大人しく、とカカシはただ其処にいた。結果、いるだけでも絶大な効果があったわけだ。

並んで歩きながら助かりましたと礼を述べられ、これまでもそうなのかとカカシの顔が少し歪む。
誘いが多いんだねと感想を述べたカカシに、皆寂しいんですが特に上忍は一人を嫌がる傾向にありますね、とイルカは立ち止まってカカシを見た。
廊下の真ん中に立つ大柄な男二人を器用に避け、両脇をすり抜け歩く者達は誰も気にしない様子で前を向いている。
「貴方も。」
真っ直ぐな目はカカシの心を探るのか射抜くのか。どちらにせよ耐えられず、カカシは窓の外に目を移した。
居酒屋でイルカを組み敷いてから早やひと月、イルカはカカシが側にいる事を許してくれた。そう、一人は嫌だと言ったから。
決まった人を作ればいいのに、と立ち止まったままイルカは溜め息をついた。
「何で、あんたがそんな事を言う!」
駄々っ子のように、カカシはイルカに言葉を叩き付けた。
「俺はあんたの何なの!」
ざわ、と辺りの者達が振り向いて二人を見詰めた。近くの部屋から顔を覗かせる野次馬も増えていく。
「え、何って、オレの一番好きなひとでしょ。」
涼しげなイルカは瞬きを増やし、何を言うのだと驚いた表情を作った。
まさか衆人環視の中でイルカがあっさりと心情を吐露するとは思わず、カカシは勢いを失い狼狽えた。
だが、まだ燻る火種は大きい。
「決まった人を作ればいいのにって、今言ったでしょう!」
カカシの握った拳が身体の脇で微かに震える。
イルカはその拳を両手で包み、胸の前に持ち上げた。ゆっくりと一本ずつ指を広げて手のひらを自分の頬に当て、目を瞑って微笑んだ。馬鹿な子だね、落ち着きなさいとでも言うように。
そのまま目を開けるとカカシを上目にちろりと一瞥し、今大事そうにしていたカカシの手をポイと放る。
「独り言でしたが、聞こえましたか。オレを誘う人達の事ですよ。」
何のためにカカシさんが側にいるのか、解らない人が多くてね。
あ、そうなの。
耳も尻尾も下を向いたようなカカシは、放り出された手を所在なげにもにょもにょと動かす。
無碍にできないのはご存知でしょ、とかつてはその一員だったカカシはイルカの言葉が胸に痛い。
帰還して最初に会った知り合いを誘うのはまあ当然かな、ただひととき安らぎたいが為に。
すんなりと認め、カカシはイルカに対して激昂した自分を恥じた。
「兎に角此処では邪魔になりますから、行きましょうか。」
イルカは冷静にカカシの手を引き、先の暗がりへ向かった。二人が消えれば後はまた人垣も散らばり、何事もなかったように廊下は人の往来が左右に過ぎる。

上忍待機所の前には誰もいない。物好きも此処までは追い掛けて来なかった。
「カカシさん、クールな筈のアンタがあれは酷かったですね。」
笑いながら、イルカはカカシの頭を抱いて髪を撫で付けた。
「俺もね、まさか自分があんな事を…。」
カカシは叫んだ内容を思い出し、落ち込んでしまった。
「いいんですよ、アンタも人間だったんだってことですよ。」
イルカの笑みは深くなり、細められた目は空を見る。

ま、お陰で執着してんのはアンタの方だって解って、オレへの嫌がらせが減るならラッキーだし。くだらん誘いも近々なくなるだろうか。
「本当に上忍と付き合うのも良し悪しですね。」
中の上忍達にも聞こえてたならいいんだが、とカカシの髪を弄ぶイルカだった。
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