5

「カカシさんたら、駄目でしょ幸さんがいるのに。」
火影の威厳を保って、とイルカは笑いながらカカシの腕をやんわりと外した。
幸の目はカカシを恋敵と認めて睨み続けている。にこりと笑いながらその目を見返せば、幸もわざとらしく甘い声でイルカを側へと呼び寄せた。
「うみの様、お茶が冷めますけど。」
はいはいと隣に座ったイルカが想いを知りながら躱しているのだと、判っているのかいないのか。幸はイルカの腕にしがみついて湯飲みに茶を注ぐ邪魔をし、叱られても嬉しそうにしていた。
「お嬢さん、」
「嫌よ、幸と呼んで下さいな。」
「それは…立場上できませんので。」
イルカが困った顔で頭を下げる。幸の甘えたい気持ちが解るからこそ、きっちり一線を引かれてカカシはほっとした。
「だって! 火影様の事はお名前で呼んでらしたじゃないの!」
勢い付いて立ち上がった幸が、涙を浮かべて癇癪を起こした。
え、とイルカが瞠目したのはそんな覚えがないからだ。
「お嬢様、私から言い出したからですよ。イルカさんに当たらないで下さい。」
余裕を見せたカカシだが、実は冷や汗が背中を伝っていた。
イルカを巡り、十幾つも離れた小娘に喧嘩を売られた。もしかしたらカカシが売ったのかもしれないが、イルカの取り合いには変わりない。
二人に諍いがあればイルカは幸の味方をするだろうと予想できるし、今はなくともいつイルカの興味が幸に向くかもしれなかった。
不利だ、いや女というだけで勝てるあの娘にオレは最初から勝負にもなりゃしない。
「え、いやそんな、私が…?」
あたふたするイルカを目で制し、カカシはゆっくり茶を啜った。湯飲みを持つ手が震えているが、幸い気付かれてはいない。
早く、早く、できれば三日程度で帰りたい。このままでは大事になるから、イルカ先生だけでも理由を付けて先に帰せないものか。
泣き続ける幸の肩を抱き宥めるイルカを目にしないように、カカシは外の景色を見た。交わされる会話は否応なしに耳に入るが、イルカは幸に対して長らく卒業した生徒を挟んで親しくしていたせいだと当たり障りのない言い訳を繰り返しただけな事に安堵する。
「続きに掛かります。」
自分が口を出せば更に泣かせるだろうと、ぐずる幸をイルカに任せてカカシは巻物の中に戻った。
だが自然と耳は会話を聞こうとして、目の前の文字を追っても一文字も頭に入らない。息苦しくて胸の上を抑えて前のめりになった。イルカには、巻物を読むのに夢中になっているように見えた筈だ。
やがて二人が立ち去り静かになると、カカシはほうと大きな息を吐いた。
胸に渦巻く嫉妬は肥大し、いつか口から溢れ出すだろうと予想に易い。幸がきっかけでそれが早まっただけだ。
でもそれから―などと考えてはいけない。この想いは告げる事なく、一生自分一人で抱えるつもりだ。
「まさか男をねえ…。」
一つ違い。正確には一年も違わないと判ると、一気に距離が縮まっていった。次第に誰よりイルカといる時間が長くなり、気付けば武骨な手や肩に齧り付きたいと思い驚いたものだ。まさかと心に問い掛けても、性別など関係なくイルカがいとおしいだけだ。
昼どきだと呼びに来た侍女に案内された部屋は昨日と違う貴賓室で、何故か着飾った若い娘が何人も席を埋めていた。
そしてイルカがいない。
大名が勧める食事を、顔が出せないからと断りイルカを探そうと席を立った。
「火影様、毒など誰も入れませんが?」
大名の厳しい声に、眉を寄せまずったと唇を噛む。上手く立ち回れない、どうしよう。
「殿様、六代目はまだ慣れないのでその辺でお許し願えませんか。」
いつの間にかイルカは大名の横に膝まづき、人好きのする笑顔全開でそっと耳打ちするように話し掛けていた。
途端に大名は顔を崩し、そうかそうかと手の平を返したような笑いをカカシに見せる。これもイルカの処世術なのかと驚き、窮地を救われたカカシはこの先の日々を思うと早くも引退を願うのだった。
「火影様はまだ狙われるので、里でも親しい者にしかお顔を出せないのです。」
「そうか、仕方ないな。うみの、お前は知っておるのだろう?」
「ご本人の前で恥ずかしいのですが、私から見てもとても男前だと思います。」
ちらりとカカシを上目に見て、目が合うとすぐに伏せたイルカの頬が僅かに染まっている。少しだけでも期待して良いのかもしれない、とカカシは立ったままじっとイルカを見ていた。
「こちらの娘さん達の誰かが、火影様のお顔を見るようになる事はあるかもしれんな。」
そういう事か。昨日の話を覚えていて、木ノ葉の里に権力を持ち込もうというのか。
カカシが改めて席に付くと端から紹介された、女達の家柄が鼻に付く程良くてぞっとした。
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