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巻物はざっと数えても三十を越える。大小長短はあれど、びっしり書かれている事は遠くからでもよく判った。
「あれ全部を、何日あれば読み終わりますか。」
「いや…そんな、オレはただ判を押すとしか聞いてませんけど。」
心底困っているのに、ははっと明るく笑われた。言ったら影分身が来てるでしょうに、と呟きをカカシに向けたイルカは楽しそうに説明を始めた。
火の国の成り立ちから現在までの法律やら、木ノ葉の里との規約やらを全て読むこと。読み終えたら一巻ずつ、六代目火影として了承の判を押すこと。
「綱手様は、シズネさんが付いていながら一週間掛かりました。」
勿論イルカもいて、の話だ。酒に溺れるという言葉通りの一週間だったと聞き、よく終わらせたねとカカシは女傑を思い出して笑った。
「里より何かと逃げ出す六代目の方が心配です。同じく一週間の期限でお願いしますね。」
「はーい。」
語尾は伸ばさない、と背中を叩かれたカカシは舞い上がっていた。
―先生、昔に戻ったみたいだね。
まだカカシが上忍師だった頃、遅刻する度に―毎回と言っていい程だが―子供達がイルカに言い付けては冗談混じりに叱られた。そんな日々に戻ったような、穏やかな気持ちになっていた。
「うみの様、今日はお相手をしていただけませんの?」
後方から突然掛けられた声に、イルカはわざわざその相手の側まで行った。
「おはようございます、お嬢さん。そういえば、まだ火影様に紹介してませんでしたね。」
お嬢さん、と呼んだイルカの声音はカカシも知らない柔らかなものだった。
「火影様、こちらの大名の娘さんです。」
カカシの元へと、腰に手を添えどうぞと笑顔を向けるその相手はまだ十代だと思われた。邪気のない可愛い顔は、カカシを見て驚きイルカの腕に縋るように寄り添った。
「あの、もっとご年配だと思っていたのですけど。」
染めた頬はカカシを見ない。写輪眼を失った今は顔の下半分を隠すだけで、初見でも整っていると判断できるカカシに見惚れたかと思われる状況だ。
だが娘はカカシの顔に反応した訳ではなく、純粋に人見知りなだけだった。
「幸さんは箱入り娘なんですよ。そろそろ一人で行動して欲しいんですけどねえ。」
酷い、と娘がイルカの袖を引く。
幸多かれと名付けられ、慈しみ大事に育てられた結果であろう人見知り。だがカカシは何故イルカがそんな娘と親しげなのかと、無表情で眺めながら憤っていた。隠そうとした気持ちが目に表れたが、イルカは別の意味に取りすみませんと頭を下げた。
「お邪魔になりますね。私は下がっていましょう。」
ならばと娘がイルカの手を引き、嬉しそうに連れ出す様子をカカシは見ていられなかった。
気持ちを切り替えて、火影としての責務を果たすべく巻物の中に座り込んだ。よく見れば、巻物を読む順をイルカが付箋に記し張り付けてくれていた。また所々に、重要と矢印も付けてある。
「流石は先生、抜かりないね。」
少し右肩上がりの大きな角張った字が明るくて大雑把なくせして繊細なイルカのようで、捨てるには惜しくて読み進め用がなくなった付箋を集めて大事に懐にしまう。
「…様、火影様、少し休憩なさって下さい。」
え、と振り向いたすぐ後ろにイルカが膝を着き、カカシの顔を見上げていた。布で隠れていなければ、ぽかんと口を開けた間抜けな顔だろうと恥ずかしい。
「火影様なんて先生に言われるの、初めて?」
巻物を置いて背を伸ばすと、微かにぱきりとカカシの首が鳴った。
「あの、なんてお呼びしたらいいのか未だに悩んでいまして。」
照れながらお茶を、と座敷の隅を視線で指すそこにはお茶だけでなく大名の娘もいた。
カカシの凝視の意味を捉えたイルカがまた、柔らかな笑顔になる。
「幸さんとは、三代目の返り咲きの頃からのお付き合いになります。まだよちよち歩きだったのが、こんなに綺麗になって。」
イルカが来る度に付き纏って、木ノ葉の里の様子を聞くのだという。
「先生、そんなに度々来てたの?」
驚いて瞠目すればイルカはにこりと見返し、ご機嫌伺いのお使いですよとこれからカカシが果たさねばならない外交の秘訣をこっそり教えた。
「何も知らないからね、やっぱりイルカ先生を側に置いてもらって正解だった。」
カカシの溜め息に、イルカは頬を掻いて俯いた。
「実は綱手様は、最初から私を六代目に付けるつもりでした。」
「うわっ、渋った先生のあれは演技だったの?」
「あ、え、その。綱手様がカカシさんに恩を売っとけと。」
あちゃあ、と額に手をやり大袈裟にイルカの肩に倒れ込む。綱手様ったら、とふわりと首に手を回し泣いた振りをした。
睨まれている事は知りながら、カカシはわざと階級を越えた親しさを見せ付けた。
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