27

ちりちりと指先から胸へと焼かれていく熱い苛立ちを、飲み込むように腹に押し込める。
「感情は出したら駄目だよ。」
「はい、連れ帰る為の説得ですよね。」
さっきの勢いはどこへ置いてきたか、先生は泣きそうな顔でオレを見た。
「あの…俺、ただ説得するだけが、怖くて仕方ありません。」
「今更?」
不安そうな声に湧き出る愛しさを抑え、あえて突き放す。
「自分で言い出した事でしょう、説得役としての自覚を持って下さい。」
一歩ずつ前に出る自分の爪先に目をやると、月が背中にある為に影はぼんやりと前にできていた。
二歩で並んでいた二つの影がオレだけになった事に気付いて振り返った。イルカ先生が俯いたままぐっと歯を食い縛り立ち止まっている。
何かを言いたそうだと待てばやがて視線が上がり、イルカ先生はまっすぐにオレを見た。
「カ、…隊長の、期待を裏切ってばかりで申し訳ありません。俺は、…こんな時でも隊長に甘えているんです。」
眉を下げてすんと鼻を啜ったイルカ先生の腕を取ると、オレは力任せに胸にその頭を押し付けた。あまり変わらない身長だから、熱い吐息が首筋に当たる。
「な、にを、」
イルカ先生の両手がオレの胸を押し返そうとしていたが、離さないと解ると爪がベストをかりと引っ掻き落ちていった。
離さなければ。けれどオレの腕は意思に逆らい彼を離さない。違う、これはオレの意思だ。自分で追い詰めたくせにイルカ先生に辛い顔をさせたくないだけの、甘ったるい感傷だ。
任務だというのに私情まみれな隊長で、自分に呆れてほうと溜め息が出た。
「すみません、役に立たない部下で。」
「…ううん、馬鹿な自分にオレが腹を立ててるだけ。酷い言い方をしたなって反省です。」
暫くそのまま抱き締めていると落ち着いてきた。こんな時にいったいオレはどうしたのか。
「ありがとうございます。こんな簡単な任務も完遂できなかったら、俺、忍びをやめた方がいいんでしょうね。」
緩められた腕から一歩後退してオレをまっすぐに見る、その目はちゃんと忍びに戻っていた。
「できるよ、貴方ならできる。」
肩を叩いて先を促した。目的地に着くまで会話もなく、だがイルカ先生はオレの隣から外れる事なく歩き続けた。
「イルカ。」
暗闇から聞こえる声に、イルカ先生は小走りに向かった。少し遅れてオレが到着した時には、二人は手の届く距離で無言で向かい合っていた。
オレの出現に、梅木が顔だけをこちらに向ける。
本当の顔は写真でしか見てはいないがその面影は一切ない、ビデオの中の顔だった。
―幻術ではなかった。
「はたけカカシ、あんたが来てるとは思っていなかったよ。」
「そう? 最初から解っていたんじゃない? 来ると思っていなかったのはイルカの方でしょ。」
顎でイルカ先生を示すと、梅木はそちらに視線を戻した。柔らかな笑みが顔に浮かぶ。
「お前が来てくれたらいいなあとは思った。でも、来て欲しくもなかった。」
梅木は腰を落とし、右腕を胸の前に水平に出して受け身の構えになった。イルカ先生を挑発している。
「待て、話を聞いてくれ。」
イルカ先生は両手を身体の脇に落としたまま、交戦のつもりはないと告げる。
「聞くだけは聞こう。」
梅木は体勢を戻さずにオレの方へ向き直った。
踏み締める足元の砂利が音をたて、梅木の殺気がオレに向かう。イルカ先生は梅木の背に話し掛けた。
「俺達は、追い忍ではない。」
「嘘だ、俺を消しに来たんだろう。」
「いや、火影様の命によりお前を里に連れ帰るだけだ。」
淡々と話すイルカ先生にも梅木は気配を向けている。先生が少しでも動けば、梅木の手足は彼に向けて舞うだろう。
「何故!」
「綱手様が、お前の話を聞いてくださると仰るんだ。一緒に里に戻ってくれ。」
「何故綱手様が、俺なんかにそんな事を!」
苦しそうに絞り出す声が、オレにはすがるように聞こえた。梅木がこの村に逃げ込んだのは―頭に浮かんだ逃げ込んだという言葉がぴたりと嵌まる―切羽詰まった弱者が追い詰められた先の行動なのでは、とふと思った。
「梅木、お前は親と縁を切ったんだよな。」
オレが確認すれば梅木に動揺が見えた。オレが一歩前へ出ると梅木は摺り足で一歩下がる。また一歩。そうして背には大木が迫り、梅木はちらちらと目を左右に流した。
オレは服の仕込みを思い出すと指でベストの裾から千本を一つ引っ張り出し、身体を動かす事なく手首を返して投げ付けた。
かんと乾いた音が聞こえ、同時に梅木の身体がその樹の幹に叩き付けられてずるりと落ちていった。
不自然に左腕だけが持ち上げられている。それはオレの放った千本が、梅木の手のひらを貫通したという事だ。
素早く右腕を捻り上げて、下半身も動かせないように両足首を踏みつけた。後方のイルカ先生は黙ったまま。そう、動かないで、オレの責任にさせて。
「妹が生まれた時、お前は下忍になったばかりだった。一般人の両親の誇りでもあった。」
オレを見る梅木の目が見開かれた。
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