21

完全に夜となると、店の外は先程よりも人口灯でまばゆいばかりだ。この通りはオレとイルカ先生の家の間に当たり、用が終われば必然的に店の前で別れる事になる。
「もしイルカ先生が一緒に行ってくれるなら、一つだけお願いがあります。」
「何でしょう。」
「それはその時に。」
今言えって不満そうな表情に口の端で笑うと、オレは肩を竦めて教えないって身体で返して歩き出した。
そうやって、考えていて。オレの事をずっと考えていて―。
卑怯だろうか、僅かな時間でも梅木ではなくオレであの人の心が満たされる事を願うなんて。
きっと明日には忘れるているんだろうけどね。イルカ先生には生徒が一番だし、二番は多分友人達だし、…いや待て。せめてオレもその二番目に入ってないかな。
「パックンの言うとおり…うん、馬鹿だ。」
子供かねえ、と鼻で笑う。オレこそ私情は箱に入れて、鍵を掛ける位はしておかなきゃならないだろう。
一歩踏み出す毎に任務と呟き、家に辿り着くまでにはなんとか気持ちを切り替える事に成功した。
手裏剣が必要になるかもしれないとふと浮かんだオレの勘はそこそこ外れないから、台所の床に大小様々な形の手裏剣を並べた。
暫く使っていないと錆が浮き出てくる。丹念に錆を落として油を塗り込め、また磨く作業は無になれるからわりと好きだ。
身体のあちこちに仕込んでおける形を選び、邪魔にならない量を服の隠しに入れておしまい。
明日にはきっと呼び出しが掛かるだろう。それまでどこにいても文句は言われないが、ひとときだけの温かなひと肌を求める気も起きない。いやそれはいつもの事か、淡白だなって呆れられる位に一人が多い。
「でも、寂しいねえ。」
寂しい…のかな。自分で言っておいてそれを疑問に思うのもおかしいが、オレは骨の髄から忍びで馴れ合いは嫌いだった。けれど。
あの人の隣は心地よい。心地よすぎて一人に戻れない。
もて余す気持ちが膨らみすぎて手のひらから転がり出し、いつかきっと彼に知られてしまうんだろう。…知られてしまったら、どうなるんだろう。
いいか、それで拒否されたら必然的に一人に戻るんだ。
流れに押されるように生きてきたオレは、今更別に傷付く事もない。

息苦しくて目が覚める。オレの腹の上には、とろんとした目のビスケが丸くなって鎮座していた。
「よう。」
あまり人語が得意ではないビスケは無愛想に見えるが、その分感情を身体で表現してくれる。昨夜呼び出して添い寝を頼んだら、大人しく布団に入って温もりを分けてくれたのだ。
「臭い。」
「え、オレ臭う?」
「黴。」
布団か。だよな。鼻が利くから我慢できなかったか、ごめんな。
ビスケをどかせて起き上がり、ベッド脇に立つとシーツを引き抜いた。枕も掛け布団も一緒に落ちたが、ベッドに戻すのも面倒だと思ったらビスケがその上でまた丸くなるから、それを言い訳に放っておく事にした。
寝起きで腹は空かない。どころか、大体昼まで食べたいと思わないのはもう長年の習慣だ。
窓の外から子供の叫び声が聞こえた。いやあれはただの会話で、声が大きいだけだな。
アカデミーの生徒らしい。術の試験があるけど嫌だから腹が痛くならないかと、いかにも子供の考えに笑わずにいられない。生きてますってガンガンに身体で訴える不思議な生き物、疲れないのかねえ。
暫しぼうっとした後に、着替えながら頭に浮かぶのは梅木の事。あのビデオから新しい情報は得られたのだろうか。暗号とは何を指すのか。あの村では誰が梅木を庇うのか、それとも脅されているのだろうか。
呼び出しを待つしかないのは承知だが、イルカ先生が関わるとなるとどうにも落ち着いていられない。
良くないよね、感情は切り捨てないとね。
支度を終えてしまったので、時間は早いが綱手様のところへ行こうかと思った。いなかったら本部棟の食堂で時間を潰そう。朝食セットなんかもあるけど、オレは隅の自動販売機の飲み物でいい。
玄関に向かえばノックが聞こえて、返事をしながらドアを開けた。
「おはようございます。」
「おは…よう、ございます。」
朝から清々しい笑みをたたえたイルカ先生がいた。
「呼び出しが掛かりました。きっと呼んでもカカシは時間を守らないだろうからお前が連れてこい、と承って参りました。」
真顔で告げた後に、起きてらしたですねとオレに笑う。
「いや、時計がなくて、いつもは呼ばれて起きるんですが…。」
顔は隠してあったが、頬が染まったのは一目瞭然だろう。
「たまたま今日は、目が覚めて。」
言い訳めいた言葉が出る。イルカ先生は小さく頷きながら、
「察して起きていただけましたか。そんなに俺に会いたかったんですか。」
とオレには爆弾のような冗談を言ってくれた。
「そりゃあ可愛い可愛い弟ですもの、会いたかったに決まってるでしょ。」
冗談として上手く返せたろうか、声が震えて胸が苦しい。
「じゃあ兄さん、行きましょうか。」
イルカ先生が空を指さすので、後を付いて木々や屋根を渡った。
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