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「公邸の裏に小さな庵があるの、知ってるでしょ。」
「はい、三代目がお建てになったものですね。」
今は亡き三代目が、将棋や野点の為に使っていた事はイルカも良く知っている。やたらと休日に呼び出し疲れたが疲労には甘いものが良いらしいなどと暗に催促され、団子や饅頭を買って行けば大層喜ばれたものだ。
三代目がいなくなればイルカも行く理由がなく、すっかり忘れていた。それがまだあるのか、と感慨深く思い出に浸るイルカをカカシは優しく見守る。
「それね、廃墟寸前なんだけど猿飛家が譲ってくれるそうなんだよ。」
「えっ、そうんですか。」
驚きを隠せない。だって、木の葉丸には祖父の思い出が詰まっているだろうに。
イルカと三代目の将棋を邪魔しに来て、大人しくするからお菓子をくれとねだったり。茅葺き屋根の茅を引っこ抜いて雨漏りさせたり。
「火影の公邸は広すぎて嫌だ、とぼやいてたら木の葉丸から使って欲しいと言い出してね。」
長らく住んでいたカカシの部屋は里でも外れだったから、有事の際には火影の初動が肝心だと説得されて公邸に住まわされている。
そして身の回りの世話を焼く為に、付けられているのは若い女だ。上手くすればカカシが手を付け、子を孕むのではないかと年寄り達が画策したのだ。
イルカが誤解したのはそれで。
やたらと側に付く女が煩わしいと夜も火影の執務室に籠っていたとは、毎日夕方には帰宅するイルカはまるきり気付かなかった。
「あの家なら、公邸の真裏で一人でも広い位でしょ。オレだって三十年近く一人暮らしをしてきたから、洗濯や掃除もできない訳じゃないし。」
「そうですね、平屋だから掃除は箒で外に掃き出せばいいでしょう。洗濯は洗濯機がしてくれますから、後は干すだけですものね。」
イルカも二十年以上一人暮らしだから、良く解る。
カカシの環境は、火影となって思いもよらぬ程激変した。
慣れない火影業に、カカシが毎日神経をすり減らしているのはイルカにも見てとれた。けれどただの知り合いでしかないから口を出せなくて、カカシでなくても済む事案はこっそり自分が片付けていた位だ。
まさか執務室で寝ていたとは、全く思いもよらなかった。その理由も、宛がわれた女を避ける為だったなんて。イルカだったら良かったのに、と言われて頬は染まりっぱなしだ。
だが現実問題として、せめて夜は何も考えずにゆっくりしたいだろう。譲ってもらえるならば、それは最善の策だとイルカは思った。
「だから引っ越してきてね。」
「契約したんですか?」
「オレはもう決めたの。」
「即決ですか。じゃあ、引っ越しの手伝いはいりますか?」
「イルカもだよ!」
「俺ですか? 勿論お手伝いします。」
噛み合わないのは何故なんだろう。カカシはイルカの顔を覗き込んだ。
「そうじゃなくて、イルカも一緒に住むの。公私共にオレを支えて欲しいって事。」
いきなり両想いとなり急展開に頭の働かないイルカは、ここまではっきり請われなくては気付かなかった。
「でも…。俺がカカシさんと同居なんて、何を言われるか…。」
膝の上の両手で、無意識に印を組んでいるのはイルカが悩む時の癖だ。カカシは小さく溜め息を吐いて、自分を奮い立たせる。
「あれ、困難には一緒に立ち向かうんでしょ?」
怖じ気づいたイルカに意地悪く返したカカシだが、実は彼もまた違う方向で怖じ気づいていた。もしイルカに断られたら、と。
「…ええ、カカシさんとなら俺は何にでも立ち向かえると思います。」
両手を膝の上でぎゅうと握り締めた。イルカにはきっと、火影岩の上から忍術なしで飛び降りる位の決心だろう。
ほっとして手のひらの汗を服で拭ったカカシは、早くも同棲生活を夢に描く。巻物を読む速度は変わらずとも凡ミスを続けざまに起こし、イルカに引っ越しは取り消したいと言われて夢を胸にしまって鍵を掛ける事になる。

カカシは大名に、嫁は取らないと宣言した。今の生活に不満はないし、子供をもうける理由も自分にはない。
だが大名は諦める様子もなく、女性を代わる代わる里に送り込むと言い出した。一人ずつ相対してみれば、きっと気に入る者が現れると断言する。
無駄なんだけどねえ、と溜め息をつき項垂れるカカシに種を撒いたイルカはどうしようとおろおろした。
「だからさ、帰ったらすぐ新居に引っ越そうね。貴方の罪は、それでチャラにしてあげる。」
罪とまで言われては、イルカも逃げようがない。それに誰かがカカシに纏い付くのは見るのも嫌だから、四六時中見張っていたいという本心を隠す事はやめた。
「俺はこう見えても嫉妬深いんで、カカシさんも覚悟して下さいね。」
可愛い。欲目が働いているとしても、イルカは自分にとって全てが非常に好ましい。
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