8

イルカのチャクラを感じるわけではないし、気配は悪気しか読み取れない。
だが確信している。
空を見上げて口を引き締めたカカシは、部屋に戻り馴染みの服に着替えて装備を整えた。右脚にクナイ数本と尻に数種の手裏剣、口寄せや忍術の巻物を胸のポケットに納め呪術の権化に対峙する為の札を厳選する。
形のないものであろうと、イルカには決して触れさせない。けれどもし、イルカの中に入り込んでいるかそれに取り込まれていたら―武器は一切使用できないのだと心に焦りが生じた。
カカシは目を瞑り、自我を抑える瞑想を始めた。やがて息遣いすら聞こえなくなり、体温が低下し自然と気配が薄れてくる。
歩き出しても、消えた気配はそのまま保たれていた。まだ鈍ってはいないか、とカカシは両手を握ったり開いたり緊張を解きほぐしてまた窓から外へ出た。今度は屋根の上に立つ。
先程の悪気は、全て屋敷の中に集まっているようだ。奥まったあの辺りは構造的に納戸だろうか、と推測でしか測れない。
屋敷全体についての情報がない事を、カカシは顔を歪めて悔やむ。幾ら大名が同盟火の国で一般人だとしても、任務同様に気にしすぎる位で良かったのだ。
誰かが呪術を使用したなら、悪気が集まる理由も解る。
お前の勘は異常に当たるな、と言われ実際外れる事はなかった。カカシは屋敷で会った顔を一人ずつ思い浮かべ、言動に不審なところがなかったかと考える。
ない。いや一人だけ、大名の娘がイルカを挟んでカカシに敵意を剥き出しにしていた。
道端の祠から沢山の悪気が生じていた。あれは民の負の思いが溜まり、澱となったのかもしれない。そして幸という娘が何らかの感情を、カカシではなくイルカに向けてしまったからこんな事態になったのか。
屋根の端まで歩き下を覗くと、凝った木彫りで通風口の口に蓋をしていた。ここまではあまりにも高く、長年手入れもできずにいたのだろう。木枠を力任せに引くと、幸い釘打ちではなかった為にあっけなく抜けた。
カカシが指先に摘まんで持った小さな札を中に差し込むと発光し、柱だらけの内部をぼんやりと照らした。そっと歩き出せば、全ての部屋の天井裏は屈んで膝を着けずに歩ける程の高さがあった。おまけに繋がっている。
不用心すぎると呆れながら、ひと足ごとに足元の板が音をたてないように歩いた。
急がなくては、と焦る心が一瞬の隙を生む。そんな事は嫌という程承知しているのに、カカシの足は次第に速度を上げていった。
悪気に近付いている。
ここか、と足を止めた下の部屋にはイルカの生体としての気配があった。万が一と頭を掠めた想像の状態ではなく、しかし物音が一切ない事に不安が募る。
故意か判別はつかないが、隅の天井の板が一枚だけずれて暗闇に一筋の光がほんのりと射していた。そこから覗いても、見える範囲にイルカはいない。真下に大名の娘がぐったりと壁に背を持たれかけ、放心している姿だけが見えた。
何が起こった―もう少し確認すべきところが、かっとなってカカシは慌てて飛び降りた。
「イルカ!」
ぐるりと見渡すと、娘のいる壁と反対側に大きな祭壇があった。その手前には、棺桶のような物がお供え物と共に鎮座している。
もしや、と心臓を握り締められたように息苦しくなった。大丈夫と何回も心で唱えながら一歩ずつゆっくりと、摺り足で近寄り箱の中を覗いてカカシはびくりと肩を揺らした。
声を上げなかったのが不思議だ。そこには予想通り、イルカが横たわっていたからだ。
眠る顔は血の気も引き青白く、胸の上下でかろうじて生存が確認できる。カカシは思わず手を伸ばし、頬に触れて体温を確かめようとした。
だが寸前でばちっと火花が散り、指が弾かれてカカシは手を引っ込めた。自分は痛くないが、このまま無理をしてイルカに触れて何もないとは言えない。ふう、と短く息をはいて幸を振り返る。
カカシと目が合うと幸は壁を背にしている為に後ずさりようもなく、目を伏せ背を丸めてしまった。
「私じゃない、私じゃない、私のせいじゃない。」
顔を隠しくぐもった声はカカシに対してだろう、言い訳だけを繰り返していた。
まず保身に立つ幸にカカシは苛立ったが、今はイルカの救出を優先させなければならない。
「あんた、イルカを助けたかったら正直に言いなよ。」
「嫌よ、だってうみの様はお帰りになってしまうでしょ?」
顔を上げた幸がカカシを睨む。自分を頂上とした考え方でしかない、他人を思いやる気など欠片もない。
「このままじゃ確実に死ぬよ。腐っていく遺体と添い寝する気か。」
大袈裟かもしれない。だが現実になるかもしれない。救い出す方法が解らないから、幸が悪気をどう操ったか知る事により解決の糸口が見付かるかもしれないと脅しをかける。
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