16

覚えのある、内側からわあっと溢れ出しそうな感覚と感情。
思わず声が出そうになり、カカシは無理矢理息を飲んだ。
何故。
「やはり食べられませんか。」
間近にあるイルカの顔が見られなかった。
『いえ、食べます。』
何を食べようかと、選ぶ振りで気を逸らす。
カカシの動揺はなかなか治まらなかったが、それでも感情を隠す事は容易い忍びだ。野菜を咀嚼しながら数を数え、二十ちょうどで平静に戻れた。
「もしかしたらカカシ先生程の方でも、微熱が続くかもしれないと言われました。」
心配そうなイルカの目はカカシから離れない。カカシの全ての神経もイルカに向かう。
何故。
『ウィルスですからね。そうかなとは思ったけど、熱よりは眠気の方が強いです。』
「じゃあまた寝て下さい。その間に食料品を買ってきます。」
早めの夕飯だったが満足した、もう今日は何もいらない。ただシャワー位は浴びたいとイルカに言うと、一人で大丈夫かと聞かれた。
まさか一緒に入る訳にはいかないだろう。ならば浴室の外で待機していると言うが、それは流石に断りたい。
『その位じゃ倒れませんよ。』
「すみません、子供じゃないですもんね。」
甘やかされるのには慣れていないから、カカシはイルカとの距離の取り方に悩む。脱衣所でほうと大きな息を着いた。
女は皆、甘えたがった。例え血を見る事に慣れていようが、カカシの前では蛇の死骸でさえ驚いた振りをし縋り付く。
その姿を可愛いなんて思いはしないが、小賢しいと馬鹿にする程カカシも擦れてはいなかった。生きる為には知恵も必要なのだと知っている。
シャワーに打たれながら、だから歯を食い縛り弱味を見せようとしないイルカが気になるのかと思い当たった。まっとうすぎて、見ているこちらがはらはらする。
何故、という先程からの己の問いに答えが見付かった、気がした。深い所でさざなみになる寸前の、澱みはあえて無視した。
髪も洗いさっぱりしたがたかがシャワーでも疲れたらしく、カカシはまたソファで眠ってしまった。
目が覚めると、イルカが辺りを拭き掃除していた。カカシはその背中を目で追いながら、もし他の人物が派遣されていたら自分はどうしていただろうと考える。
旧知の者達ならば多分安心はできた。だがこうして寛げたかといえば、全くもって無理だろう。
世話人が忍びでなければ。
…もっと駄目だ。
「あ、カカシ先生。」
雑巾を隅に置き、手を洗ったイルカが近付くと自然に笑みが出る。
「はい。」
深く眠れたから声が戻りましたね、とまた側に座ったイルカもほっとしたのか目を細めた。
「どうしてベッドに寝ないんですか?」
「お恥ずかしながら、買ってから一度も使ってないのでなんだか臭いし埃は凄いし。」
ええっ、と呆れたような声にカカシは目を逸らした。イルカには格好悪い所ばかり見せてしまう。
「家にいる時位は、せめて身体を伸ばしたくなりませんか。」
「慣れちゃったし。」
「お節介ですが、俺が掃除したら怒りますか。」
「助かります。」
掃除が嫌いだから手の届く狭い範囲で生活していた、と思わず本音を漏らした。
俯いて暫く考え、じゃあ明日頑張りますとイルカは立ち上がり帰る支度を始めた。
「帰るの?」
咄嗟に出た言葉はまるで引き留めるようで、カカシは自分でも驚いた。
「あ、もう深夜ですし、俺はアカデミーからまっすぐ来てて着替えもありません。」
うっかりしていたな、とカカシは壁の時計を見上げた。
「解りました。お休みなさい。」
「本当は、今夜だってベッドに寝て欲しいんですけどね。」
夜中に布団を干す訳にはいかないから、とイルカは諦め恨めしそうな顔で帰っていった。
世話人としてのスイッチが入ってしまったらしい。きっと明日は騒がしくなるだろう、とカカシはこそばゆい胸に手を当てゆうるりと眠りについた。

とんとん、とんとんと控えめなノックが続く。
「おはようございます。」
声も控えめだ。
誰だ、と起き上がったカカシは目を擦りながら暫くそれを放置する。
かちゃりと鍵を開ける音。
「カカシ先生、入りますよぉ。」
「はぁい、どうぞ。」
イルカだと知れているから、出迎えもしない。
顔を合わせてどちらからともなく、深々と頭を下げた。
「勝手に入りました。」
「寝起きを見られました。」
あははと笑い合う。たった数日でこんなに親しくなれたと、二人とも嬉しくて仕方ない。
身体がウィルスに慣れたらしいです、とカカシは立ち上がって伸びをした。まだ少し辛いが、ついいらぬ見栄を張ってしまった。イルカには自分そのものを見せたいけれど、余計な心配は掛けたくないとも思うのだ。
イルカがそれに気付いて、信頼されていないと落ち込むのを知らず。
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