6

台所から茶を淹れた湯飲みを運ぶ先を見れば、狭く汚ない自分の部屋にあのはたけカカシが座っているのだとふと気付いた。
忍びとして誰もが憧れる人と二人、通常はありえない状況に置かれていると思い至るとそこでイルカの思考はつまづいた。昨夜から夜の事ばかりに気を取られ、里の宝のカカシが自分なんぞと関わって良いものなのかと今更思ったところで時間は戻せない。
なんであの時、夜の存在を打ち明けてしまったのだろう。まだ夜は姿を見せていなかったのだから、どうにか誤魔化す事はできたんじゃないか。
目が合ったカカシが、気にしなくていいのにとイルカの手の湯飲みに視線を移して柔らかく笑んだ。
いやいや、絶対に無理だった。相手は暗部に在籍したカカシ先生だ、諜報にも長けていると聞いている。もろに感情が顔に出る俺が誤魔化せるわけはなかったんだ―と結論を出してもイルカの動揺は収まらないまま。
どうぞとカカシの前に香りのしない安物の茶を置いたその後、何を言えば良いのだろうとおし黙る。
「イルカ先生、どうしました?」
ひょいと覗き込まれて我に返った。
「いえ、その、…カカシ先生が俺の部屋にいるのがなんだか不思議で。」
とイルカは口籠り火照る顔を伏せた。経緯はともあれ距離が縮まって嬉しいと思ったら、勝手に頬が染まってしまったのだ。
腰の辺りに寄り添い丸くなっていた夜が、イルカの顔を見上げて目を光らせたのをカカシは見てしまった。わざとらしく伸びをし隠してあった尖った爪を出し、主の腿に刺さって注意を自分に向ける事に成功した策略家に脱帽する。
「いっ、痛いんだよ、夜のふざけ方は。」
だがそれすら可愛いのだと優しく撫でるイルカの手に、夜はぐいぐいと頭を押し付け満足げに目を細めた。
今この瞬間、イルカはカカシの存在を忘れている。ごろごろと夜の鳴らす喉の音が、ざまあみろと聞こえるのは気のせいではないだろう。
「…仲良くしようよ…。」
カカシの微かな呟きは、夜にだけは届いたらしい。片耳がくるんと一瞬こちらを向き、長い尻尾がふるりと動いた。
ちゃぶ台の下を潜り、胡座をかいたカカシの膝頭に何度も頭を押し付ける夜を見てイルカが喜んだ。
「おや夜にも解ったか、なぁカカシ先生はいい人だろ?」
夜とカカシが見詰めあう。
イルカの為に表面は仲良くするけどね、おいおい表面だけじゃなくてさ、と無言の攻防戦。
仲良くなったと信じきり、剣呑な空気を読み取れないイルカが遠慮がちにカカシに話し掛けた。
「あの…カカシ先生、もし良かったら夕飯を食べていきませんか。」
「あ、はい。」
にこにこと笑うイルカにつられて頷いてしまい、ちらりと夜を見たカカシは悪いが邪魔するよと片頬で笑った。
そんなつもりは更々なかったのだ。もう少し遅い時間にすれば良かったか。だがイルカの作る料理が楽しみになり、図々しくも言葉に甘えて何時間でも待つ気だ。
「男の料理ですけど、見た目より味は悪くないと思います。」
張りきって冷蔵庫を覗き、うーんと唸って献立を考える。イルカは舞い上がる心を抑えながら、慣れた手付きで手際よく調理を始めた。
落ち着けばその場に馴染みやすいのもイルカの特長だ。カカシの好き嫌いは知らないが、数を出せばきっと好みのものにも当たるだろうとありったけの食材を使う。素直に尋ねれば良かったと翌日空っぽの冷蔵庫に茫然自失した理由は、食材が一週間分の買い置きと思い出した給料日直前だったからだ。
イルカは料理に没頭しているが、内容が聞こえないように気をつけながら会話を始める。
「まあ今日は仕方ないわね。でもあたしは、あんたがイルカの支えになれると思った事が間違いだったかもと後悔し始めてるわ。」
「なんで。」
「教えない。」
夜はカカシを嫌ってはいない。イルカを取られる予感に拗ねているだけだ。
「認めはするけどね。」
仕方ないわ、こいつしかイルカを支えられる人間はいないんだもの。
ムカつく、と夜は腹立たしげにカカシに出された食事を片っ端からかじって憂さ晴らしをした。大事な主に叱られても無視をする夜に、カカシは眉を寄せて本当に慕っているんだなぁと小さく笑うだけに留めた。大好きな魚を半分近く食べられた事だけは、怒りたかったけれど。
さっぱりした味付けは好みだった。食事中は他愛もない話で笑いあえ、なんでもっと早く親しくならなかったんだろうとカカシは過ぎた数ヶ月を惜しんでこっそり溜め息をついた。
夜がいなければこの先もただの顔見知りのままだったなと、ちゃぶ台の下で丸くなる夜に感謝したい。
けれどカカシが手足を動かす度に、耳や髭が僅かに揺れる。こんなに警戒心が丸見えでは、指が毛先に触れるだけで引っ掻かれるだろうと迂闊に手が出せなかった。
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