二十七
送り出す言葉にカカシは暫く躊躇っていたが、意を決してこれを研いでもらえますか、とおずおずとイルカに数本のクナイを差し出した。
これは、と一瞬瞠目したイルカは笑顔で受け取りちゃぶ台の前に腰を落ち着けた。
カカシの武器を確認し刃物を研ぐのはイルカの役目だった。イルカの手付きは昨日の続きかと思う程、全く衰えていなかった。
研ぎ終わった一本を見てカカシは目を細めて微笑んだ。―やっぱりオレよりオレを解ってくれる。
普段は左目を隠すカカシは左側を庇いがちで、逆手に持つクナイの刃も敵の刃物を弾く為に片側を厚目に作られていた。
変な癖が付いちゃったけど今更直せなくて。幼少から自己流が長かった為に刃物を使いこなせない―と教師のイルカに打ち明けたのはまだ上忍師だった頃。イルカの気持ちを探りながらどうにか内側に入り込もうと、ある日の話の切っ掛けに持ち出した。
その時は貴方より使えない奴は多いし体幹のブレがなければ構わないでしょう、とイルカは一蹴したが。
一緒に暮らす前にカカシの部屋で手入れもせずに血糊を付けたまま錆びて転がる何本ものクナイを見たイルカは、捨てるんならちょっと弄らせてくださいとその場で研ぎ始め、すぐにカカシの癖を見抜いた。研ぎに出しても刃を研磨するだけで、カカシが使いやすいようにはなっていない。だから突き立てても抜く際に無駄な力が掛かるのではないか、いや突くのもコンマ何秒かが無駄だ、と撫でた身の反りで言い当てた。
確認の為にイルカの研いだ物を部屋から跳んで近くの大木の幹に突き刺し、カカシはその確かな目に感服した。内勤だがぬるま湯に浸かってはいなかったとカカシはイルカに命を預け、それからはイルカの研ぐ物だけを使い続けていた。
けれどイルカがいなくなって、カカシはイルカの研いだクナイが使えずお守りとして身に付けていた。イルカ自身とさえ思い、大事に絹地でくるんで何処にでも持ち歩く。
里から与えられた武器は使いづらいがもう誰にも研ぎを頼みたくない。
この町では戦闘もないだろうと、数本のイルカのお守りだけしか持たなかったがそれをまた研いでもらえたのだ、不謹慎だが心が弾む。
イルカは自分がカカシ先生がどうか無傷で帰りますように、と声に出しながら研ぐ事を知らない。夢中になってつい出てしまうイルカの本心が、別れを告げる直前はとても苦しかったが今は素直に喜べる。
―愛される事に慣れていなかったからな。オレだけを見てくれるのは嬉しかったが返す方法が見付けられずに悩んだ挙げ句に…よく言えたよな、あんな酷い言葉。死んで治る馬鹿だったら死ねって古馴染み達に殴られたが、そんなもんじゃ足りなかったんだ。
籠められた気持ちに応えてさっさと終わらせて、部屋の掃除でもしてイルカを待とう。今度はオレが世話をしてやりたい。
よし、と気合いを入れ一つ一つ身に付けて、カカシは忍びの顔に戻った。
むかいの気配が近付いてきて道端で立ち止まる。
時間だ。
出掛ける直前、カカシは奪い返したあの湯飲みをイルカに手渡した。
「またアカデミーでこれを使って。」
こくりと頷いたイルカは大事に使います、と恥ずかしそうに答えた。青山に選んだ理由を聞かされて、使う度に思い出してしまうだろう、カカシがどれだけ悩んでくれたか。
春浅き木ノ葉の里でその約束は果たされた。
そしてイルカは青山の言った、もう一つの湯飲みをカカシの部屋で見たのだ。
一日遅く帰還日をカカシに告げて、こっそりと赴任先から戻った日にはカカシは休みで部屋にいる筈だった。綱手から理由をつけて自宅待機を命じてもらったのだ。驚かせたいからと綴った手紙には、悪戯好きな綱手も一枚噛んであっさり了承されていた。
ただいま、とイルカが玄関を開けた時にはカカシは忍犬達を枕に、テーブルの上の湯飲みをぼうっと眺めていた。
ドアを開けたイルカと目があったカカシは慌てて湯飲みを後ろに隠そうとしたが、それをくれとイルカが言えばイルカを大好きな忍犬達が喜んでくわえ取り、カカシを踏みつけて押さえてくれた。
一頭がイルカに渡してくれたそれに大きく書かれていたのは、遥か昔にイルカが好んで着ていた服の背中にあった文字だった。
一番。
すっごく元気でさ、やんちゃ坊主だったよね。
…店先でこの湯飲みを見てあの頃を思い出して、でも買ってからさ、イルカは何故一番の服の事を知っているのかって絶対聞くなって思ったら恥ずかしくて。
言える訳ないでしょ、十数年前からイルカを知ってたなんて。
いつだったかな、勝手に散歩に出たオレの犬達を追い掛けてったら、こいつらを手なづけて揉みくちゃにされて泥だらけのイルカが笑ってたのを見たんだよ。
…笑わないでよ、初恋だったんだ。
送り出す言葉にカカシは暫く躊躇っていたが、意を決してこれを研いでもらえますか、とおずおずとイルカに数本のクナイを差し出した。
これは、と一瞬瞠目したイルカは笑顔で受け取りちゃぶ台の前に腰を落ち着けた。
カカシの武器を確認し刃物を研ぐのはイルカの役目だった。イルカの手付きは昨日の続きかと思う程、全く衰えていなかった。
研ぎ終わった一本を見てカカシは目を細めて微笑んだ。―やっぱりオレよりオレを解ってくれる。
普段は左目を隠すカカシは左側を庇いがちで、逆手に持つクナイの刃も敵の刃物を弾く為に片側を厚目に作られていた。
変な癖が付いちゃったけど今更直せなくて。幼少から自己流が長かった為に刃物を使いこなせない―と教師のイルカに打ち明けたのはまだ上忍師だった頃。イルカの気持ちを探りながらどうにか内側に入り込もうと、ある日の話の切っ掛けに持ち出した。
その時は貴方より使えない奴は多いし体幹のブレがなければ構わないでしょう、とイルカは一蹴したが。
一緒に暮らす前にカカシの部屋で手入れもせずに血糊を付けたまま錆びて転がる何本ものクナイを見たイルカは、捨てるんならちょっと弄らせてくださいとその場で研ぎ始め、すぐにカカシの癖を見抜いた。研ぎに出しても刃を研磨するだけで、カカシが使いやすいようにはなっていない。だから突き立てても抜く際に無駄な力が掛かるのではないか、いや突くのもコンマ何秒かが無駄だ、と撫でた身の反りで言い当てた。
確認の為にイルカの研いだ物を部屋から跳んで近くの大木の幹に突き刺し、カカシはその確かな目に感服した。内勤だがぬるま湯に浸かってはいなかったとカカシはイルカに命を預け、それからはイルカの研ぐ物だけを使い続けていた。
けれどイルカがいなくなって、カカシはイルカの研いだクナイが使えずお守りとして身に付けていた。イルカ自身とさえ思い、大事に絹地でくるんで何処にでも持ち歩く。
里から与えられた武器は使いづらいがもう誰にも研ぎを頼みたくない。
この町では戦闘もないだろうと、数本のイルカのお守りだけしか持たなかったがそれをまた研いでもらえたのだ、不謹慎だが心が弾む。
イルカは自分がカカシ先生がどうか無傷で帰りますように、と声に出しながら研ぐ事を知らない。夢中になってつい出てしまうイルカの本心が、別れを告げる直前はとても苦しかったが今は素直に喜べる。
―愛される事に慣れていなかったからな。オレだけを見てくれるのは嬉しかったが返す方法が見付けられずに悩んだ挙げ句に…よく言えたよな、あんな酷い言葉。死んで治る馬鹿だったら死ねって古馴染み達に殴られたが、そんなもんじゃ足りなかったんだ。
籠められた気持ちに応えてさっさと終わらせて、部屋の掃除でもしてイルカを待とう。今度はオレが世話をしてやりたい。
よし、と気合いを入れ一つ一つ身に付けて、カカシは忍びの顔に戻った。
むかいの気配が近付いてきて道端で立ち止まる。
時間だ。
出掛ける直前、カカシは奪い返したあの湯飲みをイルカに手渡した。
「またアカデミーでこれを使って。」
こくりと頷いたイルカは大事に使います、と恥ずかしそうに答えた。青山に選んだ理由を聞かされて、使う度に思い出してしまうだろう、カカシがどれだけ悩んでくれたか。
春浅き木ノ葉の里でその約束は果たされた。
そしてイルカは青山の言った、もう一つの湯飲みをカカシの部屋で見たのだ。
一日遅く帰還日をカカシに告げて、こっそりと赴任先から戻った日にはカカシは休みで部屋にいる筈だった。綱手から理由をつけて自宅待機を命じてもらったのだ。驚かせたいからと綴った手紙には、悪戯好きな綱手も一枚噛んであっさり了承されていた。
ただいま、とイルカが玄関を開けた時にはカカシは忍犬達を枕に、テーブルの上の湯飲みをぼうっと眺めていた。
ドアを開けたイルカと目があったカカシは慌てて湯飲みを後ろに隠そうとしたが、それをくれとイルカが言えばイルカを大好きな忍犬達が喜んでくわえ取り、カカシを踏みつけて押さえてくれた。
一頭がイルカに渡してくれたそれに大きく書かれていたのは、遥か昔にイルカが好んで着ていた服の背中にあった文字だった。
一番。
すっごく元気でさ、やんちゃ坊主だったよね。
…店先でこの湯飲みを見てあの頃を思い出して、でも買ってからさ、イルカは何故一番の服の事を知っているのかって絶対聞くなって思ったら恥ずかしくて。
言える訳ないでしょ、十数年前からイルカを知ってたなんて。
いつだったかな、勝手に散歩に出たオレの犬達を追い掛けてったら、こいつらを手なづけて揉みくちゃにされて泥だらけのイルカが笑ってたのを見たんだよ。
…笑わないでよ、初恋だったんだ。
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