12

何かが割れた音だ、と思わずイルカは腰を浮かせて辺りを見回した。けれども何も見えない。
「いたわね。先生怪我はない?」
「え、あ、」
どこから現れたかすぐ脇で面を着けた女性暗部が、怪我はないかとイルカの身体を軽く叩く。
「ここは昔の医療科学研究室の廃屋の地下、貴方は幻術に掛かっていたのよ。カカシでなくて悪いけど、あいつも貴方の為に頑張ってるから。さ、帰りましょ。」
「あの、帰るって、」
一人あわあわと狼狽えるイルカを無視し、縦横一回りは大きな暗部がイルカの首筋を捕まえるとその背中に乗せた。だが男はその場に転がる証拠品らしき数多くの巻物を両手に持っている為に、イルカがしがみつかないと落ちてしまう。男の首に腕を回して足を腹の方へと伸ばした。大木に引っ付いてる蝉かよ、と思わないでもない。
「先生はね、何か術を掛けられている可能性があるから大事を取って歩かせられないの。」
と言われても大人になって背負われるなんで始めての事でなんだか恥ずかしい。
あいつら馬鹿だから暗部の存在を忘れてたんじゃないのかよ、とイルカの隣から鼻で笑う声が聞こえた。
あいつらとはボスと呼ばれる男と手下達を指すのだろう。やっぱ暗部って凄いんだなぁ……。
大きな背中で規則正しく揺られまた味方に救い出された安堵からか、すうっと視界が黒く狭まってゆきイルカは貧血を起こして意識を飛ばした。
ふと気付けば、見慣れた里の中心街を背負われたまま移動している。道の真ん中をゆっくり歩いて、だ。
人通りがある中をイルカは寝顔を晒して何人もの暗部が周りを囲む状態で、大名行列とは言わないまでも殿様のお成りのように見えているかもと思わず顔を伏せた。
「恥ずかしい……。」
最初にイルカに声を掛けた、隊長の女性暗部がけたけた笑う。
「まあね、でもこれで先生とあの子を襲おうって奴らがいなくなればいいじゃない。」
「……外にも勿論里の中にも、今でもあの子供が狐憑きでお前が飼い主だなどとぬかす馬鹿者どもがまだまだいる。悪いが我々はそれをこの耳で聞きもしたし、子供を邪険に扱う場面も見た事がある。」
イルカは背中に掛けられた壮年の男の言葉を噛み締め、また同時にどこかで聞いたことのある声だとも思った。
「はい、それは否定しようもありません。皆それぞれの気持ちに未だ整理がつかないのですから……。」
どこで聞いたのだろうと考え始めると、男があっ喋っちまったと呟き隣の者に笑った。
「おっちゃんはしゃがれ声が特徴的だもんなぁ。先生が思い出す取っ掛かりになっちゃったみたいだぜ、ほら考え込んでる。」
肩をどつかれておっちゃんと呼ばれた男が慌てて寄ってくると、イルカの耳元で両手を合わせた。
「すまん、坊主、もしどこかで俺の声を聞いても無視してくれよな。」
すまんすまんと何度も頭を下げられ、勢いに負けてはあとイルカは頷いた。よく言えばハスキーボイス、人によっては酒焼けかと言うだろうかなり掠れた声だ。
ところでどこでお会いしましたっけと返答はないだろうと思いつつ尋ねてみれば、暖簾のない居酒屋の客だったという。あの夜の全員の顔は幻術で全く違う顔を見せていたが、声だけはほぼ全員が地声だった。
首に掛けて喉に押し当てる変声器もあるがまだ試作品だし、どうせ二度と関わりはないと思いあの夜の記憶をうっすらと消していく方法を選んだと説明された。
「じゃあ俺は、貴殿方と楽しくすごした一夜を全て忘れてしまうんですね。」
しんみりとしたイルカの言葉に、暗部達は思わず俯いたり眉を寄せたり溜め息をついたりした。
「教師ってやだねー、生徒を脅す時もそうやってるのかい。あーあ頭がいいのも考えもんだわ。」
女性暗部の言葉つきが変わった。
これは店の女将に似ている気がする、とイルカがそちらを向けば首を竦めてにこりと微笑まれた。
多分一週間ほどで、カカシ先生とあの店に行ったという事実はすっかり忘れてしまうのだろう。そうしたらそこは穴が開いたようになるのかな、それともその前後を上手く繋ぎ合わせた記憶になるのかな。
イルカはおぶってくれている男の首に回した腕に、少しだけ力を込めた。ありがとう、そしてさようならと。
一行の行き先は火影の執務室だった。
三代目火影はイルカを確保したとの連絡から、今か今かと部屋中を三十分もうろうろと歩き回っていた。聞こえた足音に、思わずドアを開けてイルカ達を迎え入れる。
「無事か?」
「はい、なんともありません。」
降ろされて火影の前に立ったイルカは、手足を振り回してこの通りと白い歯を見せて笑った。
イルカの無事を確認できた為か、火影はいつもの好好爺に戻って椅子に深く腰掛けると煙管に火を点ける。じっちゃんごめんな、とイルカは抱き付きたいところを我慢し暗部に救出されるまでを覚えているだけ細かく報告した。
いつの間にか暗部は全員消えていた。

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