10

バタンと音がして我にかえったイルカは正面にドアだけを見た。カカシが出ていったのだ。追わなければと焦り三代目を振り返ることなく、失礼しますと急いで部屋を出た。
カカシはのんびりと窓の外の景色を眺めながら歩いている。まるでイルカを待つように。
あ、と掠れた小声しか出なかったがカカシは聞こえたらしく、ふわりと立ち止まった。重力を感じさせない佇まいにイルカは息を飲む。
彼は今この時も、どこの誰かも解らない敵を感知しようと身体中から微量のチャクラを発しているのだ。探知が得意だと言っていたカカシ。同じ里の最上位の忍びを、訳もなくただ怖いと初めて思った。
イルカを見詰めたカカシは身体の脇に垂らした腕を動かすことなく、指先だけで来るなと指文字を作る。遥か昔に廃れたものだが、教師として忍びの歴史を学んだ際に習得していた為どうにか読めた。
承知したと顔を引き締めてカカシの脇を足早に通りすぎた。ごめんね、と聞こえたような気がしたが自分達は計画上あいまみえない関係の筈だ。振り返る事も返事をする事も許されない。
イルカはただ歩いた。体感時間ではとうに着いている職員室までが随分遠いなあと思ったら、幻術に掛かっていると気付くまでは一瞬だった。いや幻術を解かれて気付いたのだ。
──俺はどこに連れて行かれた?
イルカは術の気配を微塵も感じなかった自分を恥じた。神経は必要以上に張っていたのに。
これで相手が格上だと判った。カカシにも気を付けろと言われたばかりだったが、これで俺に何ができるってんだとまだ危機感がない。
今イルカがいるのは薄ぼんやりとした白い霧の中だ。音はせず人の気配もない、どころか辺りには物が何一つない。屋内でも屋外でもない、術による第三の空間だろうと意外と冷静に分析できている。声を出すと、口から溢れた瞬間に音はどこかに吸い込まれて静寂に戻った。
喉から出した声は骨伝導で発声の瞬間までは術に吸い込まれないと判断できたから、俺の身体の表面は何かに守られているらしい──とそこでイルカはカカシに思い当たった。さっきイルカの小指を執拗に舐めていた、あの行為の結果がこれなのだろうか。
頰や手の甲を触ると感じる強いチャクラ、限度はあれど刃物では皮膚に傷はつかずイルカのチャクラも吸い取られないのかもしれない。
ふわりと空気が動き、敵かと神経を全方向に向けイルカは臍に力を込めた。
だが起こった事はただ白い霧が晴れて周囲の景色が見えた、それだけだった。
「つーかまえた。」
「案外楽だったね。」
「黙ってろ、さっさと連れて行け。」
ドスのきいた声に慌てた若い者達が、二方向から手のひらで何もない空中を押しながらイルカに近付く。
「はいボス、できました。このまま移動できます。」
「おお便利じゃねえか、金を奪った時もこうやったのか。なるほど、アシはつかねえな。」
結界、のようなもの。どこが違うのかと言われれば、外側から術者が手を動かせば中の者は同じ動きをしてしまうという点だ。だからイルカは自分の意思でなく両手を身体の後ろに回した。
結界のような透明な膜に手を突っ込んだ赤髪の幼い少年が、イルカの手首を縛り上げる。
痛い、とそれほど痛くはなかったが会話の糸口としてイルカは声に出した。なるべくこいつらから情報を引き出したい。でないと対処法を考えられない。
「おや、すまないな。まあ殺す時は痛みを感じる前に絶命させてやるよ。ただガキンチョがどう出るかによるが。」
「ナルトを! ナルトをどうするつもりだ!」
……解ってしまった。俺は生贄だ。
ナルトから九尾を引き出す為の。
カカシ先生は知っていたんだろう、俺がこうなる事を。いやこうならないように、何度も気を付けろと言ってくれていた。
今更だが、あのくらいの幻術に引っかかってしまった自分を責めたい。こいつらは自分達の実力を過信している。この結界のようなものも、俺でさえ時間をかければ解術できるだろう。
けれどそんな悠長な事を言ってる場合ではない。ナルトを呼び出すか俺をナルトの元へ連れて行って、あいつの目の前で俺は殺される予定だ。
どうやって? 盗まれた毒薬でも飲ませるか? 一気に刃物で動脈でも切るか? 
「殺されてたまるか。俺を舐めんなよ。」
「ほうイキがいいが、それが遺言になるかもな。お前が思う程簡単には抜け出せねえよ。」
ボスと呼ばれた男が、縦にも横にも大きな身体を揺すって笑う。忍びにしては五感が鈍そうだ。
やがてイルカはまた別の場所に飛ばされた。今度はどこかの室内だ。
ふと、自分が攫われた時まだカカシは遠くに去っていなかっただろうと思った。探知できなかったのか、それともわざと俺を攫う奴らを見逃したのか。
まあ後で理由を聞こう。
それから白浜上忍は関わっていないのかと辺りをそっと見回し、チャクラを探る。どうか仲間ではありませんように。
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