この冬は何度大きな寒波の襲来を受けただろう。高い山々に囲まれたこの里は、散々雪に苦しめられた。
毎日テレビに映し出される豪雪という文字と画像には、里の本部の誰もが渋い顔をした。開くことなど滅多にない木ノ葉の里全体の地図が大活躍するのはこれきりにして欲しいと誰かが呟き、全くだと水遁と火遁の得意な者達は脚を引き摺りながら救助要請された現地に向かって行った。
任務にも支障が出っぱなしだったが、皆怒りの矛先をどこに向ければ良いのか判らずに燻っていたのだった。
ところが忘れられていたかのような春がどんと来て一気に様々な花が咲き、特に桜は蕾にさえ気付かなかったのにほんの半月あまりで満開になった。川沿いのあちらとこちらの遊歩道には毎日家族連れや仕事仲間だろう一団がどんと居座って、実に楽しそうに花見をしている。あれだけ雪に苦労した事など、春の風が全て何処かに吹き飛ばしたらしい。
カカシは一生縁遠いと思っていた花見というものがいつの間にか毎年の楽しみになっていた為、酔っ払いを見てふっと顔が綻んだ事が自分でも解った。
花を綺麗だと認識できるようになったのはイルカと出会ってから。
任務で必要があるからどの季節にどの種類の花が咲くか、義務として覚えてはいる。多分イルカより花の名は知っているだろう。……知っているだけだ。

花を見ながら飲み食いして笑って楽しいなんて馬鹿らしい、何の利益にもならない。
かつて冷たいカカシの言葉に瞠目しこころもち鼻腔を広げてすんと空気を吸い込んだイルカは、この香りだって安らぎを覚えるのにと柔らかく笑った。何種類かの花の香りが混じって流れて来ている。
ふうん。そうね、おしろいよりは薄くてましかな。とカカシは顔の下半分を覆っている布を鼻の下まで下ろして首を傾げた。
纏わりつく女達を躱し、アカデミーの空き教室や人目に付かない屋根に逃げていた。いつも開いたいかがわしい本を顔に乗せて昼寝をするカカシを見付けては、勿体ないとイルカは言い続けていた。
勿体ないですよ、人生はあっという間に終わります。
それは明日にでも死んでしまうかもしれない忍びの宿命を憂えてではなく、人はそう簡単には死なないと確信しているイルカが長い人生を振り返って寂しいと思う事の虚しさを憂えて発せられた言葉だった。
カカシには理解できなかった。
だからイルカを拒んだ。拒み続けた。

ある日突然カカシは気付いた。
天啓だったと今では納得している。
イルカが怪我をし初めて他人の死を意識した、あの瞬間の胸の痛みはきっと一生忘れないだろう。そしてイルカを何よりも誰よりも大事に思っていた事も。
普段ならあり得ない偶然が重なりイルカは里の外へ簡単な任務に出て何事もなく帰ってくる筈だったのに、腹に穴を開けて瀕死の状態で担がれて帰ってきた。担いでいる者の背から踵まで真っ赤に染まり、歩く度に一滴ずつ血の跡は道を作っていた。
それも偶然だったのだろうか運命だったのだろうか、任務で里を出立する直前のカカシが血液型は同じだからと輸血を申し出る。金づるを捨てるのかとの背中の怒声に自分が貯めた金を代わりにくれてやると返して、カカシは綱手が限界だと言うまでイルカに血を分け続けた。
生きて、またオレを勿体ないって叱ってよ。人生は長いのにって言った本人の人生が短くてそれでいいの。ねえオレとこの先一緒に歩んで、年を取って振り返った時に寂しくなんかなかったってオレに言わせてよ。
勿論あんたにも楽しかったって、いい人生だったって言わせてみせるから。
あんたは死なないんでしょ、オレも死なないからさ、ねえ、ねえ……。

カカシさん、と掠れた小さな声に意識が戻る。
貴方、血を抜きすぎたんですよ。ほら手が冷たい。俺の方があったかいじゃないですか。
カカシから直接イルカに輸血された為に、隣同士に寝かされていた。伸ばされた手の先を無意識に掴んだら、そう言って笑われた。まだイルカの唇に色は戻らないが、きらきらと輝く真っ黒な目には力が戻っているような気がする。カカシは目を細めて愛おしいイルカを見詰めた。
桜の花、散る前に一緒に見たいです。いつも貴方が昼寝をしているアカデミーの屋根の上、枝垂桜の樹がすぐ脇にあるのは知らなかったでしょう。
ああ気が付かなかった。うん、桜の花見たいなあ。急いで治してさっさと退院しなくちゃね。
ぷっとイルカが吹き出して笑う。急いで気合で治せるんなら、今すぐ治したいところです。
少し話をしただけで疲れて眠くなってきた。まだ手は繋いだまま、いやより強く握りあって眠りにつく。
二人は桜吹雪の中で寄り添う自分達の夢を見た。
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