最近のイルカ先生は、片想いの男に好きだと言えずにいる女の歌がお気に入りらしい。歩きながら、事務仕事をしながら、一人の時には小さな声で歌っているのを見かける。
―もしも私の気持ちに応えてくれるなら、全てを捨てて飛び込むわ。だけど言わない、だって貴方は少しも私を見ていない。
街なかでもよく流れるその曲は、軽快に弾む曲調なのに歌詞が悲恋を匂わせていた。もっとも最後まで聞いた事がないから、オレは結末を知らない。
それでもメロディだけは耳に残り、いつしかオレも口ずさむようになっていた。
「カカシ先生もそんな流行りを知ってるの、なんか不思議ね。」
医療班の書類を執務室に持って現れたサクラが、くすりと笑って肩を竦めた。
「ああ、なんだか覚えちゃってね。歌詞はよく解らないからメロディだけだよ。」
「あら、知らないんですか。素敵な歌ですよ。」
きゅんきゅんしちゃう、と年頃の娘らしく胸の前で手を組んで天井を仰ぐ。自分に重ね合わせているのだろう。
サクラはもうすぐ、サスケを追って遥か遠くへ旅立つ。もうサクラの片想いではなく、裏切り者との声に自らも戒めとして里に戻らないサスケが次善策として呼び寄せたらしい。
「違うわよ、私が行きたいって我が儘言ったの。」
「でもあの孤高を気取るサスケが、サクラと一日中一緒にいてもいいって思ったんでしょ?」
含みを持たせた言い方をしてやれば、真っ赤になったサクラは壊しそうな勢いでドアを閉めて出ていった。
「…まあ、まとまったのかな。」
良かったな、と引き出しの中の七班の写真に語りかける。ナルトもヒナタと愛を育て上げ、なにより家族が欲しくて早々に結婚に漕ぎ着けた。
「六代目、綱手様からはもう引き継ぎはないとの事です。」
ぼうっとしていて、イルカ先生の入室に気付かなかった。
「あ、はい。ねえ先生…サクラにお祝いを渡したいけど、何がいいんだろうね。」
「今そこで会ったので私も聞きましたけど、いつかサスケと帰ってきた時でいいって照れて逃げました。」
「へえ、連れて帰るつもりなんだ。サクラは綱手様に似てきたね。」
そうですね、と微笑んだイルカ先生の顔はちょっとだけ寂しそうだった。いや違う、やっぱり心配なんだろうね。
「ところで、先生が最近よく歌ってる歌ってどういう結末なの?」
ぎこちなくオレから目を逸らせた先生は、俯いて自分の手元を見た。
「あ…いや私も全部は。」
「そう。先生がよく歌ってるから、オレも少しメロディを覚えちゃってね。」
「えっとその、そんなに歌ってましたか…すみません。」
うっかりしていた、オレがこっそり覗いているなんて言えない。
「違います、歌が流行るほど平和になって、本当に良かったと思ったんですよ。」
好きな貴方が心安らぐ日々の為に、もっと頑張るから。
口に出せない言葉を笑顔に乗せてありがとうと、綱手様との引き継ぎだけの為にオレの傍にいた先生を労った。
では、と立ち去る先生は振り向きもしない。アカデミーの専任に戻る先生には、もう殆ど近付けはしないだろう。
自分達を重ね合わせた訳ではないが、無性にあの歌の結末が知りたくなった。
次に報告に来た情報部の若い男に歌のラストを尋ねてみると、内容を語るだけでなく一曲丸々歌ってみせた。
結末部分だけ、それまでの女の気持ちを知った男が返歌という形を取っていた。自分も憧れますと、男は熱く語った。
長い溜め息が出た。それ、オレがやらなきゃならないよね。いやオレ以外の誰がやるの。

今日の公務はもう終わりにする。
オレは火影の象徴を全て脱ぎ、何も持たない一人の男になって。
先生の手を取った。
「六代目、どこへ行かれるのですか。私はまだ仕事があります。」
「だから後はお願いって、お仲間には頼みましたよ。」
指を絡ませた手を引き、里の外へと出た。イルカ先生は意図が解らないだろうが、黙って従ってくれる。
ほどなく広くなだらかな丘が見え、オレはそのまま先生の手を引き登っていった。
眼下に見えたのは、低い山々と谷間の花畑だ。右から左まで、見える限りが色とりどりの花で埋め尽くされている。
「すご、」
先生は言葉に詰まって口を開けたまま、暫く景色を見ていた。その横顔を見詰め、オレは乾いた唇を舐める。里を出た時点で素顔は晒していたが先生は気付いていなかったろう、見詰める視線に振り向き少し動揺した。
「先生の好きな歌の、ラストを歌おうか。」
繋いだままの手を引き寄せ、勢いで腰に手を回す。

好きだと言って想いが通じたら、何があってもあなたを離せなくなるから見ない振りをしていた。
これからは茨の道を裸足で歩くだろう、それでもいいなら雨からも風からも盾となって、オレは一生あなたを守る。
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