イルカ先生は素直じゃない。
付き合っているのに恥ずかしいからと、人前では手を繋ぐどころか並んで歩く事さえしない。
オレは何も隠さないけど、付き合っているのかと誰に聞かれてもイルカ先生は否定する。言動が軽いオレは信用されてないからね、オレが付き纏うだけに見えるんだよね。
二人きりなら側にいてはくれるけどさ、恋人を皆に見せびらかしたい気持ちをなんで解ってもらえないんだろうって悲しく思うわけ。どうしてなのって聞いても恥ずかしいの一点張りだし。
もう四ヶ月はたったろうか、オレは浮かれているのは自分ばかりな事に疲れてきていた。
任務上がりに報告に行けば、イルカ先生は誰にでも向ける笑顔でオレも迎えてくれた。
最初のうちはオレにだけ特別な笑顔だなんて思っていたけどね、冷静になれば皆と同じなんだって解った。
イルカ先生の笑顔は変わらず素敵だとは思うけど。今日はどうですかって聞いたら、忙しいんですって笑いもしないしオレの顔も見ないで答えるんだ。あれだけ限界だって言ったのに、意味が解らなかったのかな。
だからもうどうでもいいって溜め息が出たのは仕方ないでしょ。
オレが黙ってその場を離れた途端に顔だけ知った女が声を掛けてきて、オレは腕にすがったその温もりを突き放せなくてそのままにしていた。
イルカ先生と違って、女は素直に嬉しいとはしゃぎ好意を隠そうとはしない。久し振りだな、相手の顔色を伺わなくてすむのは。誰に遠慮する事なく、並んで歩いて笑っていられるんだ。
女はオレがイルカ先生に飽きたのかと思ったらしい。そうだね、とオレは小さく頷いた。何も考えてはいなかったけど。
イルカ先生が息を飲んだ気配が背中からしたけど、オレからはもう何も言う事ははないし彼だって何度も言い寄ったオレに流されたんだろうし…もう、いいんじゃない。
柔らかい身体を抱き、どこへ行こうかと肩の辺りの顔を覗いて聞く。
歩きながら決めていいかしらって、可愛く上目使いに聞き返されればいいよって言うのは当然でしょ。
今日はこのまま朝までこの女といるだろうから明日の朝か―もしかしたら夕方かもしれないけど、イルカ先生にさよならを言おう。
振り回してごめんねって、それからイルカ先生を好きな女の名前を教えてあげる。あの人に近付かないでって泣いて訴えた女はオレより相応しい、きっとうまくいく。
隣の女は強調した胸をオレの腕に押し付けて、一人暮らしで寂しいと作った声でオレを誘う。いいけどね、オレがその気になるように頑張ってみなよ。
ふ、と自虐的な笑いに女が気付く。可愛い事言うね、とそれは誉め言葉に聞こえたのだろう。赤くなる項と耳は、確かに可愛いと思えるが。
イルカ先生は全身を染めてシーツに隠れ、目を潤ませていたっけ。いつまでたっても慣れない仕草が可愛いと、言えば言うほど泣くから隙間なく抱き締めて。
そういやイルカ先生は夜が怖くて毎晩魘されてた。十何年も毎晩。今夜はどうするんだろう、一人で朝まで起きてるのかな。
もしかしたらオレがいなくてかえって眠れるかもしれない。いやあの女が抱き締めてやるのかもしれない。
…終わりだから。
もう関わらないから。
腕の中の女が笑う。あんな男より自分の方が満足させられると。自信家だがそれも悪くない。オレに対して素直になるだけマシだろう。
報われなくて悩んで疲れたオレを、この女が癒してくれるなら。
別の女でもいい、オレに素直な気持ちを告げてくれるなら。
イルカ先生は自分から気持ちを言ってくれた事がなかった。オレがせっついて、漸く耳に囁いてくれた程度だ。
それでも愛が、イルカ先生の愛が溢れていたんだって…なんで今更思い出すかなあ。
まあいい、未練はきっと誰かの温もりで溶け出してしまうだろう。

外へ出ると受付所から、イルカ先生を呼ぶ声が聞こえた。誰かが外に向かって叫んでいる。
振り向くとイルカ先生が高い高い円形の屋根の上に立っているのが見え、オレは何事かと立ち止まる。
彼はオレにごめんなさいと、行かないでと、それから愛してると喚いた。
直後一瞬イルカ先生が消えて、すぐにわあわあと皆が受付所の窓から飛び出していくのを、オレはただ呆けて見ていたんだ。

イルカ先生がうわ言で繰り返しながら、愛してるとオレの名を呼ぶ集中治療室。
寝たきりになるかもしれないんだって。
お前のせいじゃない。
我が儘なイルカが悪いんだ。
気にするな。
―なんで他人がオレ達の事を解ったように言うんだろうか。
寝たきりだって?
それは好都合。
だってあのイルカ先生が、皆の前でオレに追い縋ったんだよ。死んでもオレを離したくないって思ってくれたんだよ。
命を懸けてオレの愛を試そうなんて。
素直じゃなくて素直な人。
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