「雪と桜が里での最後の記憶になるのか。」
あと数歩で阿吽の門を出るところで、イルカはゆっくり空を見上げた。
春爛漫の風情の中、心穏やかに旅立てると思っていた。なのに朝からぼたん雪が降り出して、寒さに鈍る決意を奮い立たせるのが困難だ。
門を出て真っ直ぐに外への大通りがあるが、直ぐ右手の林の中に一本だけ垂れ桜の木がある事はあまり知られていない。其処は見返り桜と呼ばれる、永遠に里から離れる者が里を振り返り涙して未練を断ち切る為にその枝に別れのうたを結ぶ場所なのだ。噂に聞いていたイルカも未練を断ち切るうたを結ぶ為に昨夜は悩んだ。
火影となったカカシに自分が側にいてはならない。男同士で好き合って身体も繋げている事が、カカシへのいや木ノ葉の里への評価を落とすと解っているから。
あちらこちらと他里を飛び回るカカシは二十日以上も木ノ葉の里には帰っていないのだろう。
今までどんな任務でも三日も途絶えなかった連絡が五日六日と途絶えていた。流石に私信を飛ばすのは気が引けるのだろうか、それとも心の比重が変わったのだろうか。そうだな、このまま忘れてくれても構わない。と十日目にイルカは覚悟を決めた。
今のうちに思い出を全て懐にくるんでカカシから離れてしまおう。
イルカはそんな任務を探し、直ぐ見付かったのは数年に及ぶ小さな村の経済指導。流通なら得意だと一人頷く。
三代目、五代目と火影二人に付いていた事が無駄にはならなかった。是非ともお願いしたいと返事が来て、イルカは誰にも知られないようにこっそりと支度をした。契約期限が明確でなかったのが幸いだ、あちらも残る事に異存はなかろう。
そうして二度と帰らぬ覚悟で門の前に立つ。
思い出は今思い出す必要はないのだ、温めておいて小出しにした方が幸せを長く感じられる。
カカシの声が聞こえたのは願望か、と口元が緩んで笑みの形になる。イルカは自覚なくまた空を見上げた。さあ行くか。
「お世話になりました。」
門を出て振り返ると、イルカは姿勢を正して一礼した。顔を上げ門を背中にし、道の右の林の中へと歩き出す。
満開の垂れ桜がやまない雪を乗せ続けて更に項垂れていた。
「俺との別れを惜しんでくれるのか…。」
イルカは幹に身体を預けて目をつむった。
さようなら、カカシさん。
明け方までうたを考えていたのだが、川柳も和歌も詩も嘘の言葉でしか綴れなかった。此処に結んだうたなぞ誰も読まないだろうに、カカシに迷惑にならないように日々が楽しかったなどと書いていた。
だけど最後に心を偽るなんて辛すぎる。カカシへの想いを最後にこの木に話してうたの代わりにしようとイルカは思ったのだ。
「なぁにをしてるかなぁ。」
よく知った声に胸が弾む、身体が竦む。直後に捕まえた、と後ろから抱き締められた。
火影の正装という事はたった今帰還したのだろうか。此処で寄り道しなければよかったとイルカは後悔した。
「残念だぁね、イルカを見張らせてたんだよ。」
イルカの肩を掴み身体をこちらに向けさせたカカシは、目だけではなく顔も身体も背けて狼狽えるそのさまを真顔で見詰めた。
「な、んで…。」
「連絡できなくて不安で、最後に会った頃のイルカの態度も変だったし。」
カカシはイルカの腰に両腕を回して胸を合わせ、ほぼ同じ高さの目を覗いた。真っ黒な瞳をきらきら光る涙が覆ってゆき、瞳に映るカカシが見えなくなってやがて涙はぽたぽたとイルカの頬を伝い落ちていった。
「久し振りに走ったからね、もう脚ががくがくなんだ。」
イルカの頭を自分の肩口に押し付け、泣き声が漏れないようにしてやりながら軽く背中を叩く。一つ息を吐いて、カカシはイルカの苦悩を気付きながら何もしてやれなかった事を詫びた。
「間に合ったのかな。どんな奴からもイルカを守るから側に居てって頼んだら、戻ってくれるのかな。」
「いいんですか、俺はカカシさんの重荷にしかならないのに。」
「逆でしょ、イルカの行動が制限されてしまうんだよ。でも、オレを支えて欲しいんだ。」
はいと言うには嗚咽が邪魔をし、仕方なくイルカは頷きながらカカシを抱き返す手に力を込めた。
「この桜はね、行く人を見送る桜という意味でゆきざくらとも呼ばれるんだよ。」
まだ肩口に置かれていたイルカの頭にこつんと額を寄せたカカシは、小さな声でイルカの耳にこう吹き込んだ。
「誰が言ったか、最初は語呂合わせの願掛けだったんだろうけど…今日みたいな雪と桜の日に里を出る者は皆帰ってくるんだって。イルカも帰ってきたしね。」
「俺は…まだ出たばかりで帰ってません。」
「でもオレの腕に帰ってきたでしょ。」
ゆきざくら、と呟いてイルカは桜の木を見た。
積もりすぎた雪が自重でぱさりと落ちた。
あと数歩で阿吽の門を出るところで、イルカはゆっくり空を見上げた。
春爛漫の風情の中、心穏やかに旅立てると思っていた。なのに朝からぼたん雪が降り出して、寒さに鈍る決意を奮い立たせるのが困難だ。
門を出て真っ直ぐに外への大通りがあるが、直ぐ右手の林の中に一本だけ垂れ桜の木がある事はあまり知られていない。其処は見返り桜と呼ばれる、永遠に里から離れる者が里を振り返り涙して未練を断ち切る為にその枝に別れのうたを結ぶ場所なのだ。噂に聞いていたイルカも未練を断ち切るうたを結ぶ為に昨夜は悩んだ。
火影となったカカシに自分が側にいてはならない。男同士で好き合って身体も繋げている事が、カカシへのいや木ノ葉の里への評価を落とすと解っているから。
あちらこちらと他里を飛び回るカカシは二十日以上も木ノ葉の里には帰っていないのだろう。
今までどんな任務でも三日も途絶えなかった連絡が五日六日と途絶えていた。流石に私信を飛ばすのは気が引けるのだろうか、それとも心の比重が変わったのだろうか。そうだな、このまま忘れてくれても構わない。と十日目にイルカは覚悟を決めた。
今のうちに思い出を全て懐にくるんでカカシから離れてしまおう。
イルカはそんな任務を探し、直ぐ見付かったのは数年に及ぶ小さな村の経済指導。流通なら得意だと一人頷く。
三代目、五代目と火影二人に付いていた事が無駄にはならなかった。是非ともお願いしたいと返事が来て、イルカは誰にも知られないようにこっそりと支度をした。契約期限が明確でなかったのが幸いだ、あちらも残る事に異存はなかろう。
そうして二度と帰らぬ覚悟で門の前に立つ。
思い出は今思い出す必要はないのだ、温めておいて小出しにした方が幸せを長く感じられる。
カカシの声が聞こえたのは願望か、と口元が緩んで笑みの形になる。イルカは自覚なくまた空を見上げた。さあ行くか。
「お世話になりました。」
門を出て振り返ると、イルカは姿勢を正して一礼した。顔を上げ門を背中にし、道の右の林の中へと歩き出す。
満開の垂れ桜がやまない雪を乗せ続けて更に項垂れていた。
「俺との別れを惜しんでくれるのか…。」
イルカは幹に身体を預けて目をつむった。
さようなら、カカシさん。
明け方までうたを考えていたのだが、川柳も和歌も詩も嘘の言葉でしか綴れなかった。此処に結んだうたなぞ誰も読まないだろうに、カカシに迷惑にならないように日々が楽しかったなどと書いていた。
だけど最後に心を偽るなんて辛すぎる。カカシへの想いを最後にこの木に話してうたの代わりにしようとイルカは思ったのだ。
「なぁにをしてるかなぁ。」
よく知った声に胸が弾む、身体が竦む。直後に捕まえた、と後ろから抱き締められた。
火影の正装という事はたった今帰還したのだろうか。此処で寄り道しなければよかったとイルカは後悔した。
「残念だぁね、イルカを見張らせてたんだよ。」
イルカの肩を掴み身体をこちらに向けさせたカカシは、目だけではなく顔も身体も背けて狼狽えるそのさまを真顔で見詰めた。
「な、んで…。」
「連絡できなくて不安で、最後に会った頃のイルカの態度も変だったし。」
カカシはイルカの腰に両腕を回して胸を合わせ、ほぼ同じ高さの目を覗いた。真っ黒な瞳をきらきら光る涙が覆ってゆき、瞳に映るカカシが見えなくなってやがて涙はぽたぽたとイルカの頬を伝い落ちていった。
「久し振りに走ったからね、もう脚ががくがくなんだ。」
イルカの頭を自分の肩口に押し付け、泣き声が漏れないようにしてやりながら軽く背中を叩く。一つ息を吐いて、カカシはイルカの苦悩を気付きながら何もしてやれなかった事を詫びた。
「間に合ったのかな。どんな奴からもイルカを守るから側に居てって頼んだら、戻ってくれるのかな。」
「いいんですか、俺はカカシさんの重荷にしかならないのに。」
「逆でしょ、イルカの行動が制限されてしまうんだよ。でも、オレを支えて欲しいんだ。」
はいと言うには嗚咽が邪魔をし、仕方なくイルカは頷きながらカカシを抱き返す手に力を込めた。
「この桜はね、行く人を見送る桜という意味でゆきざくらとも呼ばれるんだよ。」
まだ肩口に置かれていたイルカの頭にこつんと額を寄せたカカシは、小さな声でイルカの耳にこう吹き込んだ。
「誰が言ったか、最初は語呂合わせの願掛けだったんだろうけど…今日みたいな雪と桜の日に里を出る者は皆帰ってくるんだって。イルカも帰ってきたしね。」
「俺は…まだ出たばかりで帰ってません。」
「でもオレの腕に帰ってきたでしょ。」
ゆきざくら、と呟いてイルカは桜の木を見た。
積もりすぎた雪が自重でぱさりと落ちた。
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