34

梅木とは友人という枠を外せ、任務として一歩離れて見なければならない。そんな風に諭しもした。
苦しかったろう。オレにも覚えはある。
つらつらととりとめもなく思いながらも心地好い鳥の声に聞き入っていると、イルカ先生が姿勢を正してオレに頭を下げた。
「カカシ先生の助言で、今回の仲間達が嘆願書を提出してくれました。ありがとうございます。」
「あ、鳥飼に言ったあれね。却下されるとは思うけど、言うのはただですから。」
希望と絶望半々の恩赦願いだ。イルカ先生もそれが通るとは思ってはいないだろう。
「無駄でも何でも、俺の自己満足でも。」
清々しい笑顔を見せて立ち上がり、オレに手を差し伸べた。
オレがその手を握るとぐいと強く引き、勢いで立ち上がったオレはそのままイルカ先生を抱き締めた。
「もう大丈夫かな。」
背中に回した手を軽くリズミカルに叩き続ければ、先生の身体の力が抜けてふらりとオレに凭れ掛かってきた。
「すみません、身体が言うことを聞かないみたいなんです。」
脚が勝手に震えていて、と力なく吐息で笑った。
「神経を張り詰めすぎなんですよ。嫌でなかったらもう少しこのままでいましょう。」
純粋にこの人を労りたいと思った。オレに心を許してくれるなら、暖かな陽射しになって降り注ぎ安らぎを与えたい。若しくは柔らかな布団になれたら、そっと包み込んで笑顔にしてあげられるのに。
オレの肩に乗せられた頭は下を向いていて顔が見えなかった。落ち着いただろうか、また泣いてはいないだろうか。
「カカシ先生はどうしていつも、俺に優しくして下さるんですか。」
ベストに顔を押し付けている為にくぐもった声だが、泣いてはいないようだ。ほっとしてかえって両腕に力が籠ってしまった。
「どうして。」
返事を催促される。
貴方が好きだから、と言えるわけがない。
「どうしてかなあ…。」
他に適当な理由も見付けられずに困った。
「…どうして。」
先生の指がベストをぎゅっと握る。絞り出された声も、是が非でも答えを受け取らなければ引かないような強い口調だった。
オレは息を吸い込んで大きく吐き、想いを籠めて一気に言葉にした。
「貴方が、好きだから。」
ぴくりと腕の中の先生の全身が反応した。そして俯く顔が、更に下へと下がっていった。
「…言うつもりは、…なかったんだけど。」
そう、言うつもりなんか全くなかった。だからオレは今、つまづいて転んだきり起き上がれない子供のように戸惑うだけだ。
とうとう言ってしまった。
イルカ先生はオレを嫌ってはいないけれど、そういう対象として見た事はないだろう。沈黙は多分、オレを傷付けないように言葉を探しているからだ。
やがて先生の手がオレのベストの背から滑り落ちた。ああ、オレも先生を離さなきゃいけないよね。
「ごめんなさい。聞かなかった事にしてって…のは無理な話ですよね。だからこれからは、必要以上に貴方に近寄らないようにします。」
イルカ先生から手を離して一歩下がった。温もりが消えていく寂しさと胸の中を吹き抜ける虚しさが、目の奥をつついてくる。
目を瞑って、顔を見られないように先生に背を向けた。泣いてはいけない。
「カカシ先生、それはどういう意味ですか。」
「どうって…、」
「好き、の意味です。」
言葉と同時に先生の手がオレの背中に当てられ、その手がそろりと脇から前に回って臍の辺りで止まった。
「逃げないで。」
怒ったような声。そりゃそうか、勝手に言い捨てて逃げようなんて失礼な話だ。オレは好きの意味を説明しなきゃいけない。
「最初のうちはいい人だなあって、楽しい友人関係で居心地良くて。でも思い返せば、あの演舞の練習の頃から段々気持ちが違う方向へ向かっていたんです。」
肩越しにそろりと後ろを伺うが、やはり先生の顔は見えなかった。
「気が付けば目が先生の姿を追って、誰かと仲良さそうに笑っているところを見れば割って入りたくなって、二人きりでいられればそれだけで嬉しくてさよならって別れるのが辛くて、朝も昼も夜も一日中一緒にいてオレ以外を見ないでって思うんです。」
「でもそれは、…それだけなら…。」
イルカ先生は否定したいのだろう。それだけなら、ちょっと親しすぎる気の合う友人でもおかしくはない。
「貴方に、触れたい。」
オレの腹に回る手の上に手を重ねた。
「オレだけのものとして。」
背中のイルカ先生が息を飲んで顔を上げた事は気配で知れた。けれどオレは動揺していて、次に取るべき行動が解らなくなってしまっていた。
先生がオレを殴るか無視して立ち去ってくれたら考える時間が取れる。頭を冷やして落ち着いたら、先生のいいように今後の関係を修正しよう。
暫く待ったが先生は立ち去るどころか、背中からオレの顔を覗いた。
「からかって…ませんか?」
ぱちりと目が合い、オレは頭に血が昇るのを自覚した。
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