32

ねえ、と絞り出した声は震えていたと思う。
「どうして梅木は、これを貴方に渡したの。」
「…何も…、何も言いませんでした。」
嘘だ、知っているんでしょう。だからオレから目を背けるんだ。
「じゃあ、先生が黙って受け取った理由は。」
イルカ先生の唇から色が失せていた。唇を引き結び、答えてはくれない。
「貴方への遺品、ね。」
オレが口に出せば、顔を背けたままのイルカ先生の肩が微かに跳ねた。
ぎりぎりと先の折れた刀を捩じ込むような痛みが胸を襲う。せっかく先生と一緒なんだけど何も話したくない。
オレは走り出した。
怖い。梅木とイルカ先生の濃密な関係が。
梅木はいつ消えてしまうか解らない妹を抱き締めながら、イルカ先生を心の支えとしていた。物理的には近くなくともずっと心の中で寄り添っていただろう事は、あの時のあいつの目で察する事ができた。
先生も心を返そうとしていた。
その心がただの、情なのだとしても―。
オレは嫉妬しているんだ。
嫉妬して、二人の間に割って入るつもりか。馬鹿だよな、誰かオレを叱りつけてくれないだろうか。
頭を冷やそう。冷静になって、任務として客観的に物事を見なければ。
速足で当てもなく歩きながら、ふと忍び用の簡易宿泊所があったと思い出す。家を持たずに外を渡り歩く戦忍や、任務事情のある者が一時的に身を寄せる為の施設だ。
幸いそれ位の金は持ち合わせている。このまま身一つで行こう。

ひたすら眠った。カーテンすらない布団だけの部屋で、朝陽に目を射されて眠りから覚めた。
「隊長、宜しければ夕方ここまでいらして下さい。梅木の事でお話ししたいのです。」
頭の上の方で甲高い声がした。先に気配を感じていたので驚きはしなかったが、それは鳥飼の家のしるしを首に付けた見た事のない種類の小鳥だった。嘴に地図を咥えている。
「返事、いるの?」
ちち、と小鳥は鳴いて起き上がったオレの頭に潜り込んだ。寝起きで立ち上がった髪が気になるらしい。
「可愛いね、お前。返事は了解って言えるかな。」
ついつい、と多分人間だったら言えるよって答えているのだろうと囀りを勝手に解釈した。ちいちいと可愛い声に、ほんの少し気持ちが落ち着く。
やがて小鳥は天井近くの換気孔から出ていった。網目が破けているじゃないか、危ないな今度報告しておこう。
覚醒しきれない頭はつらつらと関係ない事ばかりを考える。ああ、逃げてるなオレ。
夕方まで繰り返し考えてしまうだろう、あの二人の事を。だが外に出て気をまぎらわそうにも他人の気配すら煩わしく、静かな部屋にオレはただ寝転がっていた。
結局時間まで、宿泊所でうたた寝を繰り返してしまった。お陰で少し頭が痛い。
指定の場所は、森の奥に散らばった演習場の間の空き地だった。墓が幾つか点在していたが無縁仏なのか荒れ方が酷く、崩れている墓石ばかりだ。
進む先に感じる気配は一つしかない。それもイルカ先生だ。
枝葉の多い低木の陰からゆっくりと現れた先生が、手の届かない距離で立ち止まる。
「ご足労願いまして申し訳ありません。」
表情のない青ざめた顔で、言葉少なに頭を下げた。
ひと晩経って、心は凪とは言わないまでも幾らか落ち着けていたオレは、無意識に後ろに下がり掛けた足を踏ん張る。
「…いや構わないけど、先生一人なの?」
「はい、鳥飼に頼みました。騙してすみません。」
下げたままの頭を上げずに先生は言葉を続けた。
「カカシ先生には、あいつの事でお礼を言いたかったんです。」
長くなりそうだと思い、オレは側の倒木に腰を掛けた。隣を手で叩き、座るように先生にも促す。失礼しますと一人分の間を空けて座った事に、オレは何も言えなかった。
黙り込むオレに何度も繰り返される、梅木への礼と呼び出した事の言い訳。聞きたいのはそんな言葉じゃない。
「…あれが梅木の妹の墓です。」
イルカ先生が指をさした数メートル先に、苔むした小山が見えた。先生は立ち上がるとその前にひざまづき、手を合わせて心配掛けたなと呟いた。
「兄ちゃんの代わりに俺が一生花を持ってきてやるけどさ、我慢してくれよな。」
まるで妹がそこにいるかのように、墓に向かってイルカ先生は優しく話し掛けた。
「兄ちゃんに大事な人ができて拗ねてるのか? いいじゃないか、兄ちゃんを取られるんじゃなくて家族が増えるなら。」
肩越しにオレを振り返ると先生は小さく笑った。
「あいつは本当に村の娘さんを好きになって、俺の前で村に帰りたいと声を張り上げて泣きました。」
「村の、…村の男の婚約者を?」
イルカ先生は足音を立てずに小枝や枯れ葉を踏みつけて歩き、ひたりとオレの前に立った。
手を伸ばしてオレの前髪を掻き上げるといつもだなあ、とどこか遠い目をして喉の奥で笑った。
「ん?」
首を傾げれば寝癖ですよ、と今度は両手でぐしゃぐしゃと乱して大笑いする。おかしい、変だ。
「我慢しないの。」
カマを掛け、両手首を掴んでじっと目を見詰めると。
ほら、当たった。涙が溢れる。

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