見た目と頭の良さは標準の遥か上なのにカカシに恋人がいないのは、告白されて交際を始めてもすぐに相手から離れていくからだった。
ひとことで言えば鈍いのだ。言葉の端や行動で察してほしい女性達を怒らせる事しかしない。自分から好きになった事は学生時代に何度かあるが、それだって相手の察してほしい気持ちが理解できずに逃げられた。今はもうカカシをよく理解している会社内の女性達は、芸能人を見る感覚でカカシに癒しを求めているらしい。
「ねえイルカ、バレンタインの義理チョコ……忙しいから無理かな。」
パソコンの前でぼうっとしていると、しょっちゅうお世話になっている美人の先輩に後ろから抱き締められた。無理かなーと色っぽい声で囁きながら、細腕がじわじわと首を絞めていく。
「いやその、校閲で今日何も言われなければ暇になります。」
イルカはギブですと笑いながら、材料費を下さいと後ろに首を反らして先輩を見上げた。
型抜きチョコは簡単だから材料さえあれば平日帰宅してからでも作れるし、ラッピングだって今は綺麗な紙が安く売っている。気持ちが乗ればチョコの表面に金箔を貼ってもいい。
去年と形だけ変えればいいかと尋ねれば、全部好きにしてとお札を握らされた。手間賃も含まれているがかなり多目だ。ナッツでも入れようかと材料を買う店の見当をつけながら、イルカはパソコンの電源を落とした。
今日は十日、作れるうちに作っておいた方が良いかもしれないと卓上カレンダーを見た。外注にかける経費を節約したいのか最近校閲の仕事が増え、明日いきなり持ち込まれたらこの先十四日までに作る自信はない。
ラッピングも含めて材料を全部買って帰る。夕飯を作る手間をチョコに回したいから食べて帰ろうか、と歩きながら思い付いた。
帰り道にはあの行きつけのカフェがある。カカシと会う事はないだろうが、食べるならあそこがいい。なんだかそわそわしてイルカは次第に足早になっていった。
当然カカシはいなかった。今週は後輩と本屋回りだそうだから来るかも解らないよ、とマスターはイルカが尋ねるより早く時計を見て答えた。違いますよと訂正し、家で会社用にチョコを作るのでいつものようにご飯を作ってる時間が惜しいから食べに来たと明るく笑う。
「プロのチョコかあ、本当に楽しみだね。え、まさか僕にはないの?」
解りやすくしょげてみせるマスターに、余れば差し上げますよとちょっと意地悪を言った。
「そういやカカシが、会社の中で自分だけ甘いの駄目だって言ってた。」
知ってるかと問われ、イルカは首を横に振る。去年は転職して一年目で、履歴書を見て女性達に是非作ってくれと懇願されたのだ。調子にのって激甘だった事を今思い出し、イルカは何処かにいるカカシに向かって謝罪の手を合わせた。
「去年の事はしょうがないって。今年はカカシ用に甘くないのを作ればいいだけだよ。」
慰められて少し浮上し、イルカは何を作るか考えながら家までを歩いた。
そうだ、カカオ70のビターココアがある。さっくりしたケーキの食感なら多分、多分食べてもらえる。
皆にはひと口大の正方形のチョコを作る。カカシには同じ大きさのブラウニーを作り、幾つかずつ箱に詰めて今年はイルカ自身が配ろう。口に入れるまでは同じ物に見えるように飾れる自信はあるから、不審に思われる事はない筈だ。
ふんと鼻を鳴らして気合いを入れ、腕捲りをすると材料を広げ始めた。

十四日、イルカは出社とともに帰りにお渡ししますと皆に宣言した。室内の暖房で溶ける可能性があるからと嘘をつき、更衣室のロッカーに鍵もかけた。
あっという間に終業時間になる。残業もなく、イルカは先輩に配ってきますと断って各課を回った。営業課には外回りから戻って来たばかりの古参がいただけで、今日は一つ会議があるからもうすぐ皆戻るぞとだから待てと言わんばかりのニュアンスに、イルカは行く所があるのでと各自の机に包みを置いて逃げた。
確かに行く所はあった。カフェのマスターにもチョコを渡す為だ。誰もくれなかったんだ、と空を見るマスターにお約束のと差し出すと大喜びされた。
その時カフェのドアに取り付けてある、昔ながらのカウベルが大きく鳴った。振り向けばカカシが服を乱し息を切らして仁王立ちで奥のイルカを睨んでいる。顔見知りの常連客達は見ない振りだ。
勢い込んでイルカの脇に立ったはいいが、カカシの顔は迷子のように途方にくれた情けない表情に変わっていった。
「これは義理だよ。」
あらぬ疑いをかけられていたら大変だと、マスターが摘まんだチョコをカカシに見せる。ああ同僚達と同じものだ、とカカシは詰めていた息を長く吐き出した。
握り締めていた包みをイルカの前に突き出し、カカシはやっと口を開いた。
「これ、オレのだけ違うんでしょ。ねえ、その意味を教えて。」
しゃがんで正面から見詰められると、イルカは真っ赤になって俯いた。連鎖でカカシも赤くなる。
「ほお今気付いたってか、イルカちゃん。カカシ、そういう事だ。」
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