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八月 その二
見せてもらったそれは神に捧げられた筈の人柱が神に恋をしてしまい、想う相手に命を奪われる自分を喜んだのだというもので。
実は神もその娘に恋をしてしまったが、天界と下界の者同士では叶わぬと諦めて、双方想いを口にせぬまま神は娘の命を奪うという悲恋のオチがあったならば、それは繁栄を願う神事には確かに不向きだろうし。
一度見ただけの踊りではあるが、イルカの頭には全て入っていた。まるで自分のようだと、ひと事とは思えなかったからだろう、気付けば不要なその部分を時折踊っていた。
今回は舞わぬけれど、この舞いを見せたい―あの人に。神を恋う、それはカカシを恋う事と同じだと。
イルカの艶かしい仕種はカカシの為に、口には決して出しはしないが伸ばした指の、爪の先までも想いは溢れていた。
もう教える事は無いと舞いの師匠から言われて、後はいかに自分の中で昇華させるかだと最後の宿題にされた。
その最後の稽古の後に渡されたのは、新品の舞扇だった。
小さな頃から舞姫の話を聞いて育ち、ほのかに憧れてはいたものの、まさか自分がなるとは思いも寄らなかった。扇を受け取り、イルカは改めて大役の重みを身に染みて思う事になったのだ。
本当はまだおさらいを続けたかったが、神事はイルカを必要としている。本堂を後にすると、舞いの関係者の成功祈願の祈祷に向かった。

本来は本堂で行うべきものだが、此処は明日の舞いにしか使用されない神聖な場所である。祭りの間は国主や火影に次ぐ位のイルカだけが足を踏み入れる事が許される、神聖な場所なのだ。
何だか特別扱いが居心地悪くて一人になりたくて、少しばかりとげとげしく為っていたのか、自然と歩みが速くなる。
幾つも廊下を曲がり、この角を曲がるともうすぐだ、と大股に曲がった所でイルカは弾き飛ばされた。
迂闊にも教え子だった暗部がいるからと、安心して気を抜いていたのだ。
尻餅を着いて、ようやく人にぶつかったのだとイルカは気が付いた。
無意識に受け身をとったのか、体に異常は無い。お尻の痛みだけで良かったとイルカが体を起こそうとすると、両脇に手を入れられふわりと体が浮いた。
「申し訳ございません、舞姫様。」
その声は、と立たされて相手を見ればカカシだった。警備の腕章を着けていつも通りの飄々とした風体で笑う、忙しくてほんの数日会えなかっただけなのに懐かしい笑顔に 、イルカはホッとした。
「遅いのでお迎えに参りました。」
丁寧にカカシが頭を下げてイルカの手を取った。慇懃無礼なその様子に、イルカは動揺した。
「カカシ先生、何で。」
「舞姫様は特別な存在ですから。」
うやうやしく取った手を、少し力を入れて握り締めてイルカを見詰める。今は対等な立場には無く、カカシは只の護衛にしかない。親しく話し掛ける事など以っての外だと、このような態度でいるしかないのだ。
「こんな事、ありましたね。」
思い出してカカシが微笑んだ。去年の、あれはカカシの誕生日だったと只懐かしむ、全て過去の思い出。
くくっとイルカが声を押さえて笑う。
「ええ、カカシ先生が大変でしたね。」
あの時はまだこれ程の想いでは無かった、と二人は懐かしむような笑顔を見せ、では参りましょうかと並んで歩き出した。

祈祷の為の部屋は人で溢れかえっていた。カカシはイルカを最前列に据えると、自分は警備で入口に立った。
これが二人の立場の違いだとまざまざと見せ付けられ、イルカは体を硬直させて両手を握り締める。祈祷の間も只俯き、苦しい胸を押さえ付けているしかなかった。

慌ただしい一日目もほぼ何事も無く終わった。五十年振りの本大祭と云う事で、人々は異常な程の騒ぎようだった。
明日はイルカの舞いを見る為に更に人が増えるだろうと、深夜迄警備強化の話し合いが行われた。

そして、暑い一日が始まった。山の上の神社はいくらか涼しいとはいえ、今年の夏は長く暑い。下界の蝉の声がわしわしと騒がしいが、イルカはいつに無く平静な自分に驚いていた。
昼過ぎには控室でゆっくり体をほぐし、化粧をされるのをひと事のように鏡ごしに見ていた。言い伝えの花魁のような真っ白な顔に、きつい目の縁取りと真っ赤な口紅が塗りたくられて、イルカはまるで別人になった。
―これで私は舞姫だ。
着物を幾重にも重ねられ、じわりと汗が滲む。
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