35

潤んだようなイルカ先生の瞳が揺れていた。
「からかって、なんか。」
吐息を感じる至近距離で目を合わせたまま口を開けば、自分でも驚く程たどたどしい言葉が出た。
肩越しなんかじゃ嫌だ。対面すべく背中にしがみつくイルカ先生を剥がしかけたところが、そのままでとオレの腹に回る手がベストを握って首元に額を押し付ける。
「触れたいって、どういう意味なんですか。」
「…聞いてどうするの、解ってるくせに。笑うの、馬鹿にするの?」
苦しさに短く呼吸をしながら感情を殺して聞き返すと、強く否定された。
「違う! 俺はただ…。」
先生の息も上がっていた。厚いベスト越しにも緊張が伝わる。
「カカシ先生から目が離せなくて、俺も側にいたくて。きっと、」
「きっと?」
目が離せないなんて、生徒と同じ扱いなんだろうな。食事時に子供みたいに手が掛かるなんて笑われて、溢した飯粒を拾ってくれたり汚れた手を拭いてくれた事を思い出す。
「貴方と同じ気持ち、なんだと思います。」
ゆっくり丁寧に紡がれた言葉に、突然胸が痛み頭に血が昇った。
なんだこれ、心臓を刺されたみたいだ。息ができない。
同じ気持ちって、同じ気持ちって、ねえそれ、本当に解って言ってるの。オレが貴方に何をしたいのか、貴方と何をしたいのか、ちゃんと理解してるの。
「オレはね、こういう事をしたいの。」
僅かに力の抜けた腕の中で振り向き、両手首を掴んで先生の背中に回した。腰の辺りで拘束する形だ。
胸を合わせて密着し、オレの鼻が先生の唇に当たっている。あ、と小さく声を漏らして先生はほんの少し顔をずらした。
唇を追い掛ける。僅かに開いた口の中で、怯える真っ赤な舌が引っ込んだ。
その舌も追い掛ける。食らい付いて追い付いたそれが、ぞくりと背筋を震わせる程熱かった。
オレの本気が解ったのか、イルカ先生は前のめりになって応えてくれた。オレ達はお互いただ、相手の舌を奪おうと夢中になった。
視界に入る低空でぴいぴいと耳障りな鳥の囀りが否応なく耳に入り、オレ達は動きを止めた。
モールス信号のようなものだ。オレは綱手様の元へと向かわなければならなくなった。
「行きます。」
イルカ先生になんて言えばいいのか解らなくて、なんて返されるかも怖くて、オレはただそう告げて消えた。
助かった、なんて思うのは酷いのかもしれない。けれどあのままではオレは止まらなかっただろう。肉欲ごときが止められないなんて、ヤキが回ったんだろうか。
身体の反応はかろうじて抑えていられた。綱手様に何を言われるか解らないから、厚いドアの前で軽く全身をはたいて入室した。
「早かったね。いいところを邪魔したかとは思ったんだけど。」
ほんの少し口角を上げてからかうような言い方に、前に進めた一歩が下がってしまった。綱手様が大笑いする。
「なんだい、カマに掛かってんじゃないよ。」
やられた、と何もない壁に視線を逸らす。知らん振りで用件について促すと、梅木の恩赦についての意見を求められた。だが私情は挟むな、と厳しい声が続いて飛んだ。
「今回の隊長としては、暫く監視付きで仮恩赦で宜しいとは思います。」
「そうか、ではその方向で動こう。」
あっさりと受け取られて拍子抜けした。まあ仮だからひとことでも不味い言葉が出れば、即座に里の地下牢に戻る事になるだろうが。
「もう戻れないように、チャクラと記憶を抜いてしまおうかと思っているんだ。」
思わず綱手様を凝視した。何を考えているのかと聞くが、綱手様は黙って頷いただけだった。
それが最善策だとは思う。苦しかった事は全て忘れ、新しい人生を送れればなによりだろう。
「でも、彼を知る者達は。」
「流石に周囲全員は無理だろう。だからやはり、任務という事にするかね。」
元からいなかった事にはしないのか。そうだな、梅木一家の記憶は人々から徐々に消えて過去のものになる。あと十年二十年で、彼らは話題の端にも上らなくなるだろう。
「もうこれで、梅木の件には一切関与するな。…と言っておけ。」
後は秘密裏に処理するから。
小さく呟く綱手様にオレは深く礼をし、執務室を出た。
今回の隊の仲間達にはオレから伝えろという事だ。ならば直接全員に会って話をしたい。
次から次へとこなす任務の中の一つ。皆にはとりたてて面倒でもなく思い入れはないだろうが、正面から真面目に取り組むいい奴らだった。
まず縄目と貸家に会いに執務室から近い各研究の特別棟へ出向く。
貸家とはほんの数分事務的な会話しかできなかったが、今度朝まで飲みましょうと人懐こい笑顔を向けられた。
雲海は単独任務だと縄目が教えてくれて、帰還したら雲海の暗器コレクションを拝ませてもらうのだと少しばかり恐ろしい事を言う。
「隊長、そろそろ梅木が戻らないと村では騒ぎになるんじゃないんですか?」
やはり里の仲間として心配なのだ。
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