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オレはアカデミーの校庭にある楠の樹上でイルカ先生達を待っていた。奉納舞いの時に教官がオレ達を見守っていたあの木だ。
太陽が真上に昇って熱気が地面から立ち上る。だがここは沢山の葉で陰になるし火影岩から下りてくる風が渡って、のんびり涼むには最適な場所だ。
もうすぐ昼飯の時間らしく、アカデミーの生徒達の騒ぐ声とそれを宥める教師の声が微かに聞こえてきた。イルカ先生の声を、別の木だが今のように枝に寝転がって夢地心地で聞いていた事が何度もあったっけ。
頭の中で先生達の行動のシミュレーションを組んでみた。多分、何もなければそろそろ。
「隊長、戻りました。」
ああ、ほら。
「はい、お帰りなさい。」
降り立てばイルカ先生も雲海も貸家も、疲れきった顔でオレに頭を下げた。
「お疲れ様、綱手様もお待ちだよ。」
「おう、早く風呂に入って眠りてえ。」
「先に食べてから帰りましょうよ。」
一人暮らしの貸家は家には何もないから食べて帰ると家庭持ちの雲海を誘い、嫌だお願いしますと掛け合いながら歩き出した。
イルカ先生とオレはその後ろに並んで歩を進める。
「梅木は地下牢にいます。綱手様は、貴方が村の様子を話すようにと仰っていました。」
「俺が…? 会えるんですか?」
戸惑うのも無理はない。イルカ先生は自身も拘束されるのではと思っていたのだろう。
報告を終えても緊張の極みで佇む先生に、綱手様は同じ内容を梅木にも話せと命令した。オレも同行を許可されたが、暗部に連れられて地下牢に向かったイルカ先生の後を追う気にはならなかった。
「行かないのか?」
「綱手様、オレはそこまで無粋じゃありませんよ。」
おや、と目を見開き身を乗り出した綱手様がオレを覗き込んだ。
「浮気されるぞ。」
何をどこまでご存じなのか、オレは力なく笑い飛ばして執務室を辞した。
また楠に登って気付いたのは昼飯を抜いてしまった事。空腹かと聞かれれば多分空腹だと答えるだろうが、イルカ先生と梅木が気になりそれどころではない。
こんな時に限って眠気は訪れないし、愛読書を開く気にもならなくて溜め息ばかり出てしまう。
「カカシ先生。」
ぼんやりしていても時はすぎていったようだ。イルカ先生がオレの隣に腰を下ろしている。
「お昼、付き合って下さい。」
「もういいんですか?」
「小海老のかき揚げ丼が食べたいんです。」
オレの問いを無視するのは、答えたくないのか後で話してくれるのか。
「じゃあオレも五目釜飯にしようかな。実は食べ忘れてて、お腹空いたなって今思ったところです。」
互いの嫌いなものを見せ付けながらの食事も悪くない。好き嫌いの指向はほぼ逆だが、だからといって会話が楽しくない訳ではないのだ。
「食わず嫌いが多いところは一致しましたね。今度挑戦し合いましょう。」
一つ克服する度に相手にご褒美を与える、なんてやっぱり発想が先生なんだよね。
店を出て気の向くままに歩き出した。一番暑い時間に外を歩く者は少ない。
イルカ先生はぽつぽつと梅木と交わした会話の内容を教えてくれたが、辛そうな顔に胸が痛む。二人にしか通じない心情については、オレの方から話を遮った。
「オレは尋問部じゃないから、全部言わなくてもいいよ。」
言いたくない事があるのは承知している。聖人君子なんかどこにもいない。
だけど彼が妹に注いだ計り知れない程の愛情は、両親との歪んだ関係も影響なく温かかったろう。
梅木は一度も、両親を殺したかったとは口に出していない。憎んで憎んで、それでも血の繋がった両親を、自らの手に掛ける事はしなかった。
「…両親が…死ねばいい、ってあいつは言っていたんです。半分本気で、半分は言えば気がすむから。」
でも、と立ち止まって目を細めたイルカ先生の優しい表情にオレは釘付けになった。
「両親の遺体を引き取って遺品整理をした時に、真っ赤な牡丹の花の振り袖を見付けたんだそうです。新品の、子供用の。」
声色にも梅木との見えない絆を感じた。
「一年遅れで七五三を祝ってやるんだという話を、ご近所の方が聞いていたんです。」
その直後に梅木が妹を拐うように連れ戻し、犯罪組織も叩かれている。多分、とイルカ先生は続けた。
確実に逃れられない死期が目の前に迫ってきた娘に、両親は漸く本当の情が沸いたのではないか。生まれてからずっと、欠片も愛情がなかったとは思いたくないだけなのかもしれないけれど―。
「後悔ばかりの人生で死にたくないってあいつ、酷い顔で泣きながら笑っていました。」
イルカ先生がズボンのポケットから取り出して見せてくれたのは、二つのお守り袋。
見たことのある袋には、この里で一番大きな神社の名と共に無病息災と書いてある。
「何年か前に、お兄ちゃんにと梅木の妹に頼まれて俺が買ってきたものです。」
もう一つは手作りだった。
「村の男の妹と婚約者の娘が、なりすまして工事現場から帰村した際にくれたそうです。」
梅木は遺品のつもりで、これらを先生に渡したのかもしれない。
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